鬼ダチ
机から顔を上げると、子津が前の席に座っていた。かりかり。鉛筆の音が聞こえる。
クラスの日誌を書くという子津を待っている間、オレはどうやら寝ていたようだ。湿気を含んだ空気が、いつの間にか赤に染まっている。
舌を出す。赤い酸素は、どうも甘そうで口にしてみたいと思ったが味はなかった。乾いた舌をしまって、前の子津に手を伸ばす。子津は、オレが起きたことに気付いていたようだった。
「あと少しっすから」
振り返りもしない。
肩においた手から力を抜くとだらり、と腕が垂れた。
腕に触る、机のパイプの冷たさが心地いい。
不意に、なんだか沢松を思い出した。
幼馴染と書いて、げぼくと読め。
教室をつつむ暖かい空気が、何を言ってもしても傍にいた沢松に似ていた。
じんわり、赤色に染まった教室に誘われて、涙腺が開く。
うつ伏せた袖が涙を啜った。
悲しくは、なかった。
子津が立ち上がった。トントン、と紙を整える音がする。
もうすぐ、もう、すぐに振り返って帰ろうとオレを促すだろう。
それまでにこのだらしない涙をふき取って、せき止めなければならないのに力が入らなかった。
「さるのくん」
答えないオレに、子津が振り返った。
教室の窓は南向きで、教壇は西の端にある。
涙で滲んだ曖昧な視界では子津がどんな表情をしているか、そんなことすらわからなかった。
机の端に、子津の片手がつかれた。
遠慮しいしい、指の先だけ。
ぼんやりとそれを眺める。
ふわ、と髪の先が押さえられた。子津の、もう片手。
目の前の学ランに皺が寄って子津の顔が、オレの頭に近づいたことがわかった。
「後悔、してるんすか?」
静かな、低い声がする。
また、ふんわりと髪の先が抑えられてまるで少女漫画みたいに、子津がオレの髪にキスしたのだとわかった。
ゆっくりと頭を下げるその仕草は、騎士が王に誓うそれに似ている。
子津と出会った。好きになった。
沢松にも言えやしない。
オレは顔をあげて、不自然な体勢で子津を見上げた。
すぐ傍にあった唇に、喰らいつく。
「好きだぜ」
まったく、バカみたいな話だった。
二度と口に出来ない気がして、もう一度口付けたまま、鬼ダチと口を動かした。