モクジ

  盛大な朝  

 まだ明けやらぬ、薄暗い空。
 ゴソゴソと静寂な空気に、無粋な物音が混じる。初め牛尾は、その音に気づけなかった。何故自分がこのような時間に目を覚ましてしまったのかもわからずにベッドの上でぼんやりしていたところ、隣に獅子川がいないことに気づき、床の上に降り立つ。スリッパを履くのも煩わしい。裸足でようやく気づいた音を頼りに台所へ向かう。
 ひそひそと、何やら話し声も聞こえる。
「こんな朝早くにどうしたんだい……?」
 飾りガラスのドアを開けると、ビクッと身体を強張らせた人影は二つ。
「キャ、キャプ?!」
「お、おう、は、早ッえな牛尾」
 動揺した二人に、牛尾は首を傾げた。
「もしかして、もうお腹が空いたのかい? ……夜中にあんなに騒ぐから」
 片目を擦りながら、手伝うよ、と一歩踏み出そうとすれば
「い、いえ、いいッスよ! ちょこちょこっとやってるだけなんで、大丈夫ッス!」
 慌てたような猿野に、止められた。
「え? でも……」
「ホンット、いーですって! もうすぐ子津も帰ってきますし! なんなら、抱き枕にシシカバ先輩もおつけしますから!」
「はッ?」
 獅子川が猿野を見た。目もあわせずに、猿野は獅子川の背を押す。
「んー……じゃあ、獅子川くん、寝ようよ」
「へッ?」
「いやー、お暑いなあ。よっ、ご両人!」
「ッて、おい、さッるの?」
「じゃ、キャプ、シシカバ先輩おやすみなさいー。あ、あとはオレらがやっとくんでご心配なく」
 パタン、と扉が閉められた。何やら騒ぐ声が、その向こうに聞こえる。


 どうしたもんか、と獅子川は天井を仰いだ。スースーと隣では牛尾が寝息をたてている。少しは抵抗したものの、牛尾にもう一度寝てもらうためには確かに大人しく抱き枕になるしかしかなく、こうして猿野の言うとおりじっとしている。
 子津が帰ってきたようだ。控えめにカタン、と玄関の戸が閉まるのが聞こえる。忍ぶような足音が、台所へ向かっていくのがわかった。
「……っ」
「……、……」
 切れ切れに、声が聞こえるが何を言っているかまでは聞き取れない。自分たちのことでも、話していたのだろうか。今度は足音が近づいてきた。
「……獅子川先輩……?」
 そーっと扉を開けて、子津が部屋を覗き込む。
「おー……」
 クス、と笑い声が寝静まった部屋に響く。
「ご苦労さまっす」
「全くだぜ……アッイツは?」
「中々やってくれたっすけど、今からなら十分修正効くっすよ。安心して抱き枕になっててくださいっす」
「……ずッとか?」
「主将が起きちゃ、元も子もないっすからね」
 もうすぐみんなも来るっすから、せめてそれまで辛抱してくださいっすと笑顔で言い残し、子津が出て行く。一つため息をついて、獅子川も腹を括ることにした。穏やかな寝息は、途切れることがない。



「とりあえず……」
「お邪魔しますよ?」
 ベルを鳴らすわけにも行かず、辰羅川はゆっくり家の中を覗き込んだ。猿野が出てきて唇に人差し指を押し当て、手招きをする。音を立てないように靴を脱いで、右の扉を開けた。
 リズミカルな音と共に子津が振り返る。
「あ、二人とも早かったっすね。兎丸くんたちは、一緒じゃなかったんすか?」
「ええ、何か忘れ物をなさったそうで……」
 見なくても動き続ける包丁を、青ざめて眺めながら辰羅川が答えた。一方、犬飼は猿野が作業を続ける皿の中を気味悪そうに覗き込んでいる。
「おい、バカ猿」
「んだよ?」
「……とりあえずこれ、なんだ?」
「はっ?お前サラダも知らねえの?」
(サラダに生肉なんて入ってたか……?)
 とは思っても、下手にツッコミをいれる気はない犬飼。大体、静かさが物を言う計画なのだから、実は猿野との接触さえ厳しく辰羅川に禁止されている。
「ふうん」
「じゃ、二人とも居間の方お願いするっす。一通り材料は買っておいたっすけど、足りなかったらこれで」
 ポンと無造作に投げられた財布は、床におちる直前に拾い上げられた。
「……子津くん、コントロール鈍ってませんか?」
 自分から大分離れたところに投げられたそれに、辰羅川が眉間に皺を寄せる。
「それでもストライクっすよ」
 辰羅川の手の中に収まった財布に向かって、片目を瞑ってみせた子津に嘆息を落とし、台所の人影は減った。


 やがて虎鉄と猪里、司馬と兎丸も連れ立ってやってくる。蛇神たちの到着にはまだ時間がかかる、という言葉に頷いて、猪里に台所に残ってもらいあとは居間の手伝いに向かってもらうことにした。
 ついでに猿野も回収してもらって。
「……子津、これは……」
「……生贄、ってことで」
 見るも無残な姿になった、皿の中の生野菜(+生肉)たちに猪里が深く深くため息をついたことは、言うまでもない。



 ちょうどそのとき、寝室で牛尾が目を覚ました。数時間前と違って、パチッと音でもしそうな勢いでまぶたが開けられる。きっちり、7時ちょうどのことである。起き上がろうとするが、胸の上の重みに憚られた。
「獅子川く……?」
 平和そうに寝ている獅子川の右腕が、牛尾の上に乗っている。それを丁寧に降ろして、ようやく牛尾は起き上がった。一つ伸びをしている間に獅子川の目も覚めたらしかった。真紅の目が向けられる。
「起こしちゃった?ごめんね」
「いーから、もうちょい、寝ッてろや」
「え?」
「いいから」
 そのまま引き倒されて抱き込まれ、止むなく牛尾は目を閉じる。大方、空腹の猿野がもうすぐ起こしにくるだろうと、楽観的に考えながら。



「来たのだー」
「鹿目、声が大きい也」
「があ」
「さすがにこの時間にゃおきてんじゃねえのか?」
「しーっ、キャプテンたちはまだ寝てるっすから静かにしてほしいっす」
 お玉を持ったまま顔を出した子津に顔を見合わせる4人。
「まだ?」
「たち?」
「見てみるといいっすよ」
 くい、と子津が指差した向かいの扉をそーっと覗き込む。
「ミイラ取りがミイラなのだ」
 鹿目が覗いた先、牛尾も獅子川も平和そうな顔で眠っている。現在時刻、8時半。予定時刻まで、あと残すところ30分である。



「あーっ、先輩たち遅いよぉ」
「とりあえず、兎丸声でけーぞ」
 脚立に上って何やら飾りつけをしている兎丸が振り返る。その脚立を支えているのは長身で部内1,2を争う犬飼で、ミスマッチを感じるが口には出さない。
 その向こうのテーブルでは男ばかり集まって、飾りつくりの真っ最中であった。
「せんぱーい、早く手伝ってくださいよ。もうオレ指いてぇ……」
「何をやってるんだ?」
「輪飾りつくりですよ。あと、この倍は作らねばならないのでご助力願います」
「倍……」
 既に机の上に溢れんばかりとなっている輪飾りを見て、一宮が呻く。
「セロハンテープで止めるなり、のりで止めるなりご自由に。こちらに折り紙はありますから。……そうですね、一宮先輩と蛇神先輩は紙を切っていただけますか? 三象先輩と鹿目先輩は組み立ての方を」

 それぞれがげんなりと折り紙を手に取ろうとしたところで、兎丸が三象を引き止めた。
「ね、ね、先輩肩車して?」
 どうやら、脚立の景色に飽きたらしい。赤い刷毛を持ったまま、期待の眼差しで見上げる。三象が鹿目に視線をやれば、仕方ないとでも言ったように頷かれた。
「わーいっ」
 ぴょんっと兎丸が脚立から飛び降りる。お役目ごめんとばかりに、さっさと犬飼が脚立を片付けた。動きが少しばかりぎこちないのは、よほど長い時間脚立を抱えていたからかもしれない。
 ひょいと持ち上げられて、兎丸が歓声を上げた。たちまち周りの人間にいさめられ、舌を出す。気を取り直して刷毛をクルリと回し、壁にかかった看板の誕の字を塗るべく気合を入れなおした。


「……しお、おい、うッしお、起きろ」
 しつこく頬を叩かれて、牛尾は無理やり目をこじ開けた。寝過ごしたせいか、少し頭痛がする。ふらふらと頭に手をやって、寝過ごした? と自分の思考を振り返った。
「あ、僕……っ」
 壁掛け時計は普段の起床時間より、二時間遅れを示している。起こしに来るだろう、と油断したのが悪かったか。朝食の当番は自分だったのだからなんにせよ、これは皆腹をすかせているに違いない。
「待ッてよ、お前が行くのはそっちじゃねーッつの」
 台所のドアノブを掴もうとした手は、逆に獅子川に捕まり台所も居間も通り越して洗面所に押し込まれる。なぜかそこには自分の着替えも用意されていて。
「あれ?」
 尋ねる間もなく入ってきた扉は閉まり、「用ッ意済ましてこッいよー」とまで言われる。
 一体何事だろう?
 首を捻るが、誰が教えてくれるわけでもない。仕方なく水道の水を出し、歯ブラシを手に取る。ついでに洗顔料の位置を確認した。どうやら最後に起きたのは猿野ではないようだ。きちんと、指定の場所にそれは収まっている。
 その横に、カレンダーがかかっていた。
 無意識に日付を確認して、あ、と呟く。
(そういえば今日……)
 思いついた事柄に、首を振る。大したことでもない。気を取り直すように歯ブラシを濡らす。獅子川くんが起こしてくれたなんて、良い日だよねなどと一人ごちながら。
 あと三分もすれば起こる騒ぎを前に、まだ家の中は静寂を保っている。
モクジ