モクジ

  桜の下、君を探して  

 桜降りしきる、卒業式の出来事だった。


「――いい加減にしてくださいっ」

 和やかに式は終わり、下級生のつくるアーチをくぐったあとに、校庭でそれぞれの仲の良いものとつるんでいたときのことだった。なんとはなしにマウンドの傍へ集まっていた野球部員たちが、突然の怒鳴り声と叩く音(おそらく人の頬を)にぎょっと振り返る。慌てた視線の先では顔を上気させ、睨みをきかせる辰羅川の前で犬飼が殴られた頬をそのままに呆けていた。
 その様子も辰羅川の『いい加減』に入らなかったようで、ぎゅっとさらに唇を引き結んで踵を返し、走り出してしまう。
「えっ」
「おい、兎丸追えっ」
「辰羅川くーんっ」
 ただ事ではない様子に、俊足兎丸が後を追う。それでも犬飼はまだ呆然としたまま、辰羅川の去った方を見つめていた。
 そんな犬飼に、猿野が詰め寄る。
「おーい、お前たっつんに何したんだよ。事と次第によっちゃこの猿野様が制裁食らわしちゃるぞ」
「何、つったって……」
 犬飼も辰羅川の激怒の意味はわからないらしい。頬に手を当てるのも忘れて、呆然と辰羅川の去ったほうを見やっていた。その様子を見ながら
「まさか……」
 と、子津が呟いた。呟いたついでに二三、犬飼に質問する。一つ質問するごとに傍にいた部員たちの表情も、呆れ以外の何物でもなくなった。
「うっわ……」
「信じらんねぇ」
「それは男としてどーよ……?」
 早々にしゃがみこんで、深く深くため息をついていた猿野が漸く立ち直った。犬飼を、無理やり辰羅川たちの去った方向を向かせ、ドンッとその背を叩く。
「――走れっ」
 未だに一人訳のわからぬまま、犬飼は足を一歩踏み出した。



 校庭の奥にある校門を抜ければ、そこは桜並木だった。いつもは正門から出入りしているので馴染みは薄い。しんしんと音が鳴りそうなほど、桜が降りしきる。
 けれど音はなかった。
 平日の昼間の住宅街。時折、校舎の方から歓喜とも悲しみともつかぬ声が聞こえる。一歩一歩歩むごとにに、桜の花びらで靴の底が厚くなるような気がした。並木道の向こうから、小さな影が向かってきた。
 兎丸だ。
 犬飼の姿を認めると、無言で来た方を指差した。その顔には、苦笑が浮かんでいる。感謝の意を示すために会釈をし、少しだけ歩を早めた。初めは猿野に言われるままだったが、今はちゃんと「謝らなければ」と自分で明確にわかっている。
 たとえ、何に対してかわからなくとも、だ。
 200Mも歩いただろうか。100Mも歩いたところから坂になっていて、先が見えなかった。ようやくその姿が見えて、犬飼はほっと息をつく。
 探し人は一際大きい桜の幹によりかかり、俯いていた。
 ああしてっとおとなしそうなんだけどな、と歩きながら犬飼は思う。あれが一度口を開けば自分の母親すら凌ぐ説教をするのだから信じがたい。そのせいか件の母親なぞ、自分の説教は既に辰羅川に任せているような節がある。
「辰」
 少しの距離を残して、犬飼は立ち止まった。辰羅川は顔を上げない。
「その……悪かった」
 何だかわかんねえけど、とはさすがに言わなかった。そのくらいの分別はあるつもりだ。ゆっくり辰羅川が顔をあげる。

 どのくらい、そうしていたのだろう。

 頭の上に、桜の花びらが積もっている、と言っていいほど降り注がれていた。そういえば辰羅川とは違う、自分の瞳の色が怖かったころがあったなと何故だかぼんやり思い出した。羨んでいた瞳と、視線がかち合う。
「――」
 そこに来て、やっと、ようやく、犬飼は自分のすべきことを悟った。そうずっと、ずっと、自分はこの言葉を言わなければならなかったのに。心地よい惰性に逡巡していうちに、その気概が時に奪われたことを、やっと思い出したのだ。
 はらり、とまた桜が辰羅川の髪を覆った。
 それは、まるで合図のようだった。
 息を、吸う。
 一世一代の。

「――お前が、好きだ」
モクジ