かたて手袋。

「忘れた」
 と、猿野くんが剥き出しの手をひらひらさせた。この寒いのに、だ。暖冬と言われても、手を酷使する野球部員の傷や肉刺に気温は容赦なく滲みる。
 真っ赤な手のひらは見ているだけでも痛々しかった。あちこちに飛び跳ねた茶色い髪のの向こうでブロック塀からのぞく、南天の実のようだ。
 手袋を片方外す。差し出すと顔を顰められた。
「いいって、そんなん」
「嫌だと思ったら、明日は忘れないでくださいっすね」
 無理やり、嵌めてしまう。仏頂面だったけれど猿野くんは暴れないでいてくれた。あと、数百mの道のりでしかないけれど。
 猿野くんは僕の左側にいる。僕は左手の手袋を渡したから、お互いに近い方の手がむき出しになっていることにふと気付いた。
 手を繋ごう、なんてことは言い出せないし、もちろん出来もしなくて、こんないつ人が通るかわかならないところで触れたいと思うほど世間知らずではないけれど、世の中のセオリーというものが変に僕に訴えた。
 それに、それらを差し引いても猿野くんの手はやっぱり痛々しく、僕の手でよければ覆って暖めてあげたいと思ってしまうのだ。
 重症だ。
 そう唱えてみて、冷静さを取り戻そうとしてみるけど、うまくいかない。
 猿野くんも意識してしまってるのかもしれなくて、賑やかなはずの家路が沈黙に侵されてしまった。
「んー……あ、ほら」
 いつもなら黙って、続きを待つのに
「何すか?」
 沈黙を少しでも遠くへ追いやるために、聞き返す。
「えっと……あー、寒ぃな」
「あ……今年はあったかい方だって言うけど、それでも寒いもんは寒いっすよね」
「あったけえって、あれなんかな? 地球温暖化」
「そうかもしれないっすね。二酸化炭素、増えてるって言うっすし」
「なんで、二酸化炭素が増えると暑くなんの?」
「なんか、地球から出てる熱を、二酸化炭素が吸収するから外に出なくて、それで気温が上がっちゃうみたいっすよ」
「へえー」
 また会話が途切れてしまった。
「……で、でも、あったかくなったらありがたいって、こんな冬には思っちゃうっすよね」
「あ、子津でもそういうこと、思うの?」
「え、そりゃ思うっすよ」
「なんか子津ってそーいうの、すげえダメと思ってそう。温暖化とか環境破壊とか、そういうの。冗談でも言ったら怒りそうなカンジしてた」
「そりゃ、環境破壊とかがいいこととは思わないっすけど、やっぱりこんなに寒いと」
 と、苦笑いしてみせる。
「だよなー」
 猿野くんも笑った。僕が曲がって、猿野くんが真っ直ぐ進む分かれ道が近づいてきた。それに気をとられて、また黙り込んでしまう羽目になる。
 けっきょく、黙ったまま僕たちはそこにさしかかった。
「じゃーな。また明日」
「さよならっす」
 分かれて向き直り、自分の手を見て、手袋を貸したままだったことに気がついた。あんなに気まずくなってしまうぐらいなら、貸さなければよかったのかもしれないと、ぼんやり思ったけれど、思い出してもあの手は痛々しかったのでこのくらいの代償は仕方ないのかもしれなかった。