輪郭がぼやける恍惚

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 久しぶりに戻った実家は、当たり前のことだけれど、記憶の中のそれと変わらなかった。
 大きく古い門構えに、弟たちと走り回った長い廊下。椿の花落ちる縁側に、昼間でも暗い仏間、暖かい湯気の台所。
 幼い僕らが暮らしていたそこで、今小さな息子が興味深げにあたりを見回している。老いた母が、にこにことしながら、それを眺めている。妻は庭の草木に目を奪われているのだろう。
 一段と寒さの厳しい冬だったけれど、枯れ落ちる森の中巧妙に紛れ込んだ陽だまりのような、景色だった。

 昔の自分の部屋で懐かしんでいるうちに、何時の間にか瞼が落ちていたらしい。息子が大きな目を瞬かせ、自分を見ていた。おはよう、そう苦笑いすると、楽しげに口が開く。
「あのねえ、お父さんがいたっすよ!」
 子供というのは驚くことを言う。僕の亡き父の遺影にでも出くわしたのだろうか。けれど、息子にとって僕の父はおじいちゃんであるはずで、どうも納得がいかなかった。
 子供は手をとって、僕を立たせようとする。首を捻りながら、大掃除で塗られた蝋にきらめく板張りを、位置の低い手にひかれて前かがみでついていった。たどり着いたのは母の部屋だ。
 むやみに懐かしいものが散乱している。
「よく……こんなもの……」
 それはビデオだった。今ではめったにお目にかからない。デッキまでテレビの下に鎮座していて、物持ちがいいと言われる僕でも素直に感嘆してしまった。しかもまだ動くらしいのだから、まったく機械というものはあなどれない。ビデオのラベルには、西暦らしい下二桁と月日がどれにも記されていた。
 機械時代の申し子とうわさされる世代の息子は、初めて出会う操作でも、すぐに馴染んだようだ。見てて、と僕に言い聞かせ、再生ボタンを押す。ざ……ざざっ……と数秒の砂嵐。

『三番、ピッチャー子津くん』
 ウグイス嬢が、僕を呼んだ。

 懐かしい、まだはたちにも達していなかった僕が、真っ直ぐに相手方のピッチャーを見据え構えている。一心な目をしていた。果たして、バットはボールを捕らえる。思い出した、甲子園決勝、最後の夏。続く、マイク越しの声。
『四番、サード猿野くん』
 心臓が震えた。
 懐かしい彼がそこにいた。日に焼けた髪、薄茶の目、強い意思の眉、荒れた指先、僕の拙い縫い目だらけのユニフォーム。ファーストに目を上げて笑むのは、そこで僕が必死な顔をして見守っているからだ。今の僕なら笑えるような(そのときにはとても必死で、それどころじゃなかったのだけど)ことを冗談交じりに呟いて、野次と声援を頭から被り、キャップの鍔を下げる。
 敵のピッチャーが振りかぶる。僕が何度も恐れた、美しいフォーム。猿野くんは見据える。逃がすもんかと、全身で叫んでいる。
 白い鳥は、大空を飛んだ。

 ビデオマイクが歓声に包まれる。ナインがホームに集まる。サードにいた兎丸くん、セカンドの辰羅川くん、そして僕が生還する。みな振り返る。猿野くんが、大きく手を振りながら帰ってくる。一番に迎える影は僕だ。みっともなく腕を伸ばして、猿野くんを抱きとめる。歓声に紛れてもまだ空を突き抜ける声で、猿野くんが雄たけびを上げる。みんな泣いている。笑いながら、僕と猿野くんも泣いていた。カメラは僕らに近づく。顔を寄せ合って、健闘をたたえあう球児たちを一人一人捕らえ、大騒ぎしている猿野くんとそれに振り回される僕を映した。肩を組んで、叩き合って、僕らは撮られていることにも気付かず、永遠の中閉じ込められた。

 懐かしい懐かしい。何度叫んでも足りない。いやそんな思いでは足りない、苦しかった。戻らない輪郭を捉える視界が、揺れて滲んだ。泣きながらテレビに見とれるみっともない父を、子供が不思議そうに見上げている。


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