「さぁーるの」
 もぞもぞと動いて、起きたのかと思えば眠そうな目のそいつは、舌足らずなおかしな言葉を漏らした。それが自分の名前だと認識するまでに少しかかる。
 またもぞもぞと潜りなおす茶色の旋毛は綺麗に巻いていた。さらさらと、動きにあわせて髪が落ちる。
「んだよ」
「――疲れたあ」
 今まで寝てたくせに、何を言い出すんだ、と思わず目を眇めるとくるりと猫目がこちらを向いた。きりっと吊りあがった眦は、寝不足か何かで、赤い。何かが何かなんて、聞くなよ。野暮だから。
「何が」
「人生に」
 ぼうっと枕もとの壁を眺める様子は、寝ぼけているようにも見える。
 くしゃりと髪をかき混ぜると、やはり寝起きで力が入っていないのか、簡単に項が折れた。ゆったりと、下がった頭が登ってくる。なんとなく、寝起きの頭の重い感覚を思って、もう一度その顔を枕に押し付けた。
「アホか」
 そこまですれば、さすがに目が覚めたらしい。うう、と唸り声のあと、上がった顔は凶悪を極めていた。
 むりやり顔を布地に押し付けたのがいけなかったのか。眉間に寄せられた皺の感じは、類似性などないはずなのに、こいつのむかつく幼馴染を思い出す。
 ただの嫉妬で、過敏になっているだけだからきっと言ったら笑われるだろう。
「屑桐さんて……すごいよな」
 話題をそらそうと、無理やり喉の奥から引っ張り出したそれは、自分でもわかるほどに脈絡がなかった。あからさまに、怪訝そうな目が向けられる。
 いいや、通しちまえ。繋がらない会話は、今に始まったことじゃない。
「は? 何が?」
 それにしても、何がはねえだろ、何がは。
「すごくないところがないだろ、あの人」
「そおかあ?」
 あらぬ方向を見上げて、いっぱいに目を瞠って首を傾げる様は子供じみている。
 内容とあいまって、それはどこか気味悪ささえ感じられた。十二支がマトモとは言わねえが、華武だって相当だ。
 それを不思議に思わず、首を傾げる様は、何かを信じすぎた子供に似ている。前はそれでも、いくつか不平を口にしていた。おかしいと、何度も繰り返していた。
 慣れたのか。変わったのか。馴染んだのか。
「まず、怖いし」
「こないだ捨て猫に餌やってたけどな」
「……うっそ」
「マジ」
「猫鍋にして食うんじゃねーの?」
「それ、録先輩に聞かれたら殺されんぜ」
 録? ひっかかるものの、何も浮かんでこなかった。シュボタン、とオレが首を傾げるのを見かねて硬質に放たれた響きに、黒いチビッコが浮かんでくる。
 そうか、あれ年上だったんだっけ、そういえば。選抜で一緒だったし、去年の優勝高のメンバーのフルネームぐらい覚えておくべきなんだろうけれど、数字を連想させる二文字からは不思議と楽しげにディスプレイを覗く様を思い出せなかった。
「なんで、朱牡丹さん?」
「お前、マジ何にも覚えてねえのな。あの人、屑桐さんのちょーファンじゃん」
 思い浮かんだのは、ヘアバンの下のソバカスの笑顔。
 盲信する何かを突付けば、人は憤る。それが『殺す』という発露に繋がったとしても、おかしな話じゃなかった。――朱牡丹さんがそうかは知らんが、子津がキれると、怖い。
「そんなもんかね」
 わかると言って、求められる理由の説明が面倒くさくて、わざと鼻を鳴らした。御柳が起き上がり、まるで昇竜を狙うような目つきをオレに向ける。
「命は大事にしろよ」
 本気にも思えそうなほど、声は重く、冷ややかだった。それがつまらない。
 噛み締められていた唇が、すがるように絡み付いてきた舌が、オレじゃない誰かを思っているようで。
「おー、肝に命じとくわ」
 負の感情を回りくどく表した、興味ない声に御柳がまたことさらに眉間に皺を寄せる。ぼさぼさとあちらこちらにとんだオレの髪を、ピンと引っ張って、耳元に口を寄せた。
「お前って、いつもそうだよな。口先だけで、人の話聞いてねえの」
 とっさに、髪を引っ張る手を掃うこともせず、口をあんぐりあけて御柳を見返す。そんなオレに狼狽したように、やはり御柳は髪を掴んだまま
「何だよ」
 と、顔を覗きこんできた。
 真正面からぶつかった視線を思わずそらす。
「別に」
「うっわ、すっげぇムカつくその言い草」

 『いつもそう』とこいつがオレを語るぐらいに。
 『前はなあ』とオレが昔のこいつを思うぐらいに。

 一緒にいるようになったのだと、恥ずかしくも実感してしまった。