きんぎょくい

 僕は笑った。笑うしかなかった。笑顔以外、どうすればいいのか、よくわからなかった。音はない。微かな嗚咽が、ほんのすこしだけ零れた。
 表面張力を超えてしまった、水のように。
「僕へのあてつけみたいだよ、それ」
 学生服の肩が、ぴくりと揺れた。
「僕が好きだって言ってるのに、どうして、犬飼くんに好かれないからって、僕の前で泣くの?」
 嘘をついた僕は、また笑った。
 何か言おうと口をあけた辰羅川くんが、泣き顔のまま首を振る。ちがいます、なんて怒られた子供が言い訳するみたいだよ。
「何が違うの? どう違うの? 犬飼くんに怒られて、泣いているんでしょう?」
 ちがいます、と辰羅川くんは小さく繰り返す。なんで怒られたなんて、考えてない。気分屋の犬飼くんが苛ついてる、それだけとしか思ってない。だから悲しんでる。
 僕が僕と彼との関係を、犬飼くんに告げ口したからだと気付いていない。
 手を伸ばす。抱きとめる。捉まえる。逃げられないように。逃げ出さないように。考えられないように。逃げられないように。
 抱きしめるふりをして、両腕を伸ばして、広い肩をとらえる。
 腕の中で震える僕の金魚は、じわじわと掌の熱で殺されていくのに気付かない。
「こんなに僕は辰羅川くんが好きなのに、辰羅川くんはそうじゃないの?」
 のどの浅いところを使うと、子供みたいな声が出る。女の子の甘える声に、よく似てる。
「いやだよ、そんなの。僕を好きになって」
 今まで、ひどいことを言った口で、守られる声を使ってお願いする。辰羅川くんはその矛盾に気付かない。犬飼くんでいっぱいの頭じゃ、何もわからない。
「そんなに犬飼くんが好きなの? 僕大事にするよ、辰羅川くんを、怒ったりしないよ」
 エディプス・コンプレックス。浮かぶ言葉を振り払う。違う。子供は母親を犯したがったりしない。繋ぎたがったりしない。
 とまるくん、とまるくん。思考をやめて、ただ虐待者をそれと気付かず呼ばう辰羅川くんの方が、よっぽど子供だ。
「待ってるから。僕、辰羅川くんが振り向いてくれるまで、待ってるから」
 僕の手は辰羅川くんでいっぱいなのに、辰羅川くんの手は僕に伸びない。見ててね、君の手の中の金魚鉢、黒の出目金。
 いつか掬って、鯉の池に逃がしてあげる。


 ひらひらと泳ぐ金魚が、青黒い水の向こうに薄れて消えた。