やさしい聖夜
ときは夕暮れをすこしすぎたころだ。西の山の尾根に、赤い光が申し訳に残っている。
芭唐は、火の気のない家にたどり着き、走った息の荒いままほっとした。やはり言通り信二がどこか、遊びに誘い出したのだろう。家で人心地つけて、少し離れた遊具の多い公園でも覗きにいってみようか。
考えながらドアに手をかけ、鍵がかかっていないことにぎくりとする。
けれどその向こうに、やはり人の気配はない。おおかた、信二がかけ忘れたに違いない。あとで強く言っておこう。こういう浮かれた日にはとくに犯罪が多いのだから。
玄関にいるうちからマフラーをときコートを脱ぎ、一応電気をつけて無人を確かめた居間のコート掛けにそれぞれを吊るす。
デートのままの気取った姿で、公園で弟2人と戯れるのも格好がつかないかもしれない。自室に戻り着替えるために、階段を登る。冥、信二、自分の順に部屋のドアが続く廊下の電気をつけて、
大きくため息をついた。
ちょうど自分と信二の部屋のドアの間の壁に背を預けて、こどもが寝息を立てている。どれほどそうしていたのだろう、寝こけた格好で、冷たい廊下に傾いていた。見せようと待っていたのか、よく見れば成績表が幼い手に握られたままだ。
せっかくのクリスマスだというのに、家族にそれぞれ予定が入った。父はもとより仕事、信二は所属する風紀委員会の冬休みに向けての招集、母はなんだったか、なんにせよ顔が広く、頼られ性だから困りごとを断れなかったのだろう(まさか末っ子以外の全員が家をあけることになるとは思わなかっただろうし)。そして自分はといえば、当然デートで。
それでも信二は委員会を振り切って早めに帰ってくると豪語していたのだけれど、だいたい人の良い弟にそんな真似のできる可能性をもともと芭唐は低く見ていた。それでもデートを家庭の事情でポカす気にもなれず(何せ金持ちの彼女と付き合っている醍醐味は、この日とでたらめな誕生日につきる)、割合の低い確率を一応信じて家を出たのだけれど、嫌な予感にあの手この手で女をなだめすかして帰って見ればこの始末だ。
ふだん憎まれ口の自分だけれど、それでも幼い弟が猫も杓子も浮かれるこの聖夜に1人冷たい床で待ちくたびれて寝ていたのかと思うと胸が痛む。
もう一度ため息をつきながら目線を合わせるようにしゃがみこみ、柄に無い優しい仕草で、肩を揺すった。
「めーい、起きろよ。兄ちゃん帰ってきたぜ」
「んー……?」
A4サイズの紙を握ったままのまるっこい手が、瞼を擦る。そして、その金の目が芭唐を映して
「あにき……フラれたのか……?」
「ばっか、どうせ信二が帰ってこれないだろうと思って、早めに切り上げたんだよ。ほら、起きれっか? 寝るんなら部屋で寝ろよ」
「眠ぃ……」
どうしても動けないらしい。しょうがねえ、と1人ごち、脇の下に手を差し入れる。持ち上げると、さすがに重くなっていた。蹈鞴を1歩で踏みこたえ腕に腰掛けさせたまま、弟の部屋に向かう。
ひらひらと、肩にかかった手の先で通信簿が揺れて背に触れた。
「なんだよ、良い成績でもとったんかよ」
「国語、『よく頑張りました』になったんだ……」
3段階評価の3。
それで、信二に褒めてもらおうとあそこで待っていたのだろう。国語の成績がどうも芳しくないことを嘆いて、2学期始まってからの夜の廊下は、冥の部屋から漏れるしずかな読み聞かせの声が響いていた。
せめて代わりとばかりにぽんぽんと、背を叩く。
「やったじゃん、母ちゃんと父ちゃんも喜ぶっしょ」
「うん……」
「さすがにもう帰って来っだろうから、ちっと寝て待ってな」
部屋のドアを開け、昔信二が寝ていた小さなベッドに、やわらかくあたたかい体を横たえる。シーツが冷たいのだろう。たちまち丸くなる体に布団をかけてやり、端に腰を降ろして目にかかっている前髪を掻き上げるように撫ぜた。
ちいさく口をあけて、冥は静かな寝息をたてている。
「よく頑張りました、っと」
ぶっきらぼうにそう呼びかけて、芭唐は笑んだ。