「あ……ほら、鶯」
 御柳くんがベランダに座り込んで陽の光を受けながら、そうつぶやいた。うぐいす? と聞き返して、洗濯籠を抱えたまま彼の視線の先を覗き込む。鳥が1羽、きらきら光るような青空の中を飛んでいったけれど、それが果たして鶯かは、すでにわたしには判別できなかった。
「もう春なんですね」
「だなあ……」
 御柳くんは呆けたようだ。気が抜けているともいえる。つまらなそうでもある。
 珍しい犬飼くんの外泊だった。里帰りだ。一昨昨日から行って、今日には戻ってくる。けれど、今日とはいってもおそらく帰りは夜遅くで、太陽が真南にも昇らない今からしたら、だいぶ長い時間、まだわたしたちは2人きりでいることになっていた。
「暇なら、洗濯物干すの手伝ってくださいよ」
 わたしの仕事ではあるけれど、あんなにぼうっとしているのだからすこしぐらいこき使ったってバチは当たらないだろう。御柳くんは植物になって光合成をしていたのかと思うほどにのろのろと立ち上がり、ベランダから居間に戻ってきて絨毯の上に座り込んだ。
 犬飼くんが素足を好むので、家ではめったにスリッパを使わない。だから直接に座ることも、あまり珍しいことではなかった。
 籠を倒して、中に入っていた洗濯物を広げる。2人なら、こちらのほうが効率が良い。
 まず手に取ったタオルは、春の日差しの中では心地よい冷たさをしていた。不必要に掴んで、その貼り付く温度の低さを楽しんでしまう。洗濯機の中から衣類をとってくる前に出しておいた洗濯バサミにことさらゆっくりに挟んで顔を上げると、御柳くんは自分のTシャツを掴んだままぼうっとしていた。
「御柳くん、手、動かしてください」
「ああ?」
「手」
「ああ……」
「……」
 心此処に在らず。
 見送りするときはあんなにも威勢良く、一週間でも一ヶ月でも一年でも帰って来るななどと大口を叩いていたくせに、いざとなればこれだ。まったく呆れてしまう。
 靴下をやっぱり洗濯バサミに挟みながら見つめていても、御柳くんの手は動かない。
「君だってよく外泊するでしょう」
「ん」
「さみしいんですよ、わたしたちだって」
 やっと焦点のあった御柳くんの目がわたしを見た。
 鶯の鳴き声が聞こえる。
「思い、知りましたか」
 笑いかけると、数瞬おいて御柳くんも苦笑した。「さみしかった?」とあんまり嬉しそうにまた聞くので、気恥ずかしくなってしまい「それはもう」と澄まして、目線をそらしながら答える。
「そっか」
 それだけのことなのに、なんだか嬉しそうに御柳くんが笑うので、毒気を抜かれてしまった。こどもみたいだ。
「これからは、なるべく帰ってきてくださいね」
「そーする」
「犬飼くんも、さみしそうですよ」
「わあってる」
「連絡くださらないと、夕ご飯も余ってしまうし」
「ごめんって」
「……ほんとうに、わかってますか?」
 上目に尋ねると、それが拗ねたように見えたのか、ぷ、と御柳くんが噴出した。ほら真面目に聞いてない、と今度こそなんだか悔しくなって、またそっぽを向いてしまう。私こそ、子供みたいだ。
「聞いてた、聞いてた。ちゃんと帰ってくるって」と、御柳くんが笑いながら繰返している。