待ち受ける光
ちゃぶ台に両肘をつき、顎を支えていた弟が、不意に言を発した。
呼びかけだけのそれにグローブを磨く手を止め、顔を上げる。
茶の間の真ん中で光るテレビがその大きな黒目に映り、ちらちら揺れていた。
「友達って、色々あるんだな」
「何?」
その言葉だけの意味ならば汲み取れる。けれど今、どのような心持でそれが言い出されたのか、見当がつかなかった。魁に目を向けないまま
「おれさ、沖がすきだよ」
と、由太郎が続ける。
先の友達とは、沖のことらしかった。
それでも、解しきれない。由太郎は自分に似ず社交的で、クラスでも部活でも、常に誰かに囲まれていた。見知らぬ人間に囲まれても物怖じしない。
何故、いまさら友達について言及する必要があるのか。
「良い友人が出来て、よかったな」
不可解を軽く気に留めながら、深くは考えず魁は言った。
由太郎が微笑む。どきり、とした。大人びたと思う。何時の間にか、成長していたらしい。
石の中から異質な鉱石が顔を覗かせたような、違和の拭えない静けさを湛え、由太郎が頷く。
「うん、沖は、いいやつだ」
語調に、突き放した響きが、無意識だと知れるほどに微か含まれていた。弟らしからぬ、皮肉を帯びた言葉だ。これも大人になったということだろうか? 魁は眉を顰めた。
「喧嘩でも、したか」
「え?」
ぱちくり、由太郎が瞬く。
「誰が? 誰と?」
「お前と、沖が」
「どうして? なんで兄ちゃん、そう思うんだ?」
「何か悩んでいるように、見えたぞ」
暫し絶句する由太郎に、テレビからの不意の笑い声が声高く響いた。
「……してない」
「そうか」
「信じんの?」
「何、」
「嘘だって、思わねえの、喧嘩してないって」
弟の心持は自分が思うよりずっと、複雑らしかった。困惑しながら
「由太郎が言うなら、信じる」
「どうして?」
「理由がなければ、お前は、拙者を信じぬか?」
「……そんなこと、ねえ」
「そういうことだ」
「本当は、喧嘩みてえの、したんだ」
「そうか」
「沖が、嘘だって、言うんだ」
目的語がない。魁は心もとなく磨きかけのグローブにやっていた目を、由太郎へ向けた。
しばし、言いよどむように、由太郎の口がもごもごと動いた。黒勝ちの目元が、泣きそうに歪んだ。
「オレと沖が、友達だっていうの、嘘だって、言うんだ」
ゆっくりと、語尾が震えて、消えた。
「なんでだろう」
何か答えて示唆してやりたかったが、魁にも沖の心情は測りかねた。そもそも、対人関係の機微においては自分より由太郎の方がよほどさとい。
「兄ちゃんじゃなきゃ、オレの言うこと、信じてくんねえのかな」
「そんなことはないだろう」
「じゃあ、なんで、沖は」
瞼が、涙を堪えるように、伏せられた。
「なんで」
答えを、兄も、もちろん弟も、持っていなかった。
ちいさな信頼にすら怯える臆病な心を、測る術を2人は知らない。臆病のほんとうの意味すら、わからない。小さく縮こまり、耳を塞ぐことでしか己を守れない沖の世界を、知らない。
思考を塞ぐ沈黙は、畳やちゃぶ台にべったりと、膜のように貼り付き、
「何故だろうな」
兄の声に、由太郎は俯く。
疑問ばかりが浮かび、違いすぎる苦痛を和らげる言葉も知らず、兄弟は小さな後姿を思い浮かべて、自らの無力を嘆く。
けれど。
けれど、いつか知る。いつか理解する。彼らがそう願う限り、分かり合う未来は訪れる――必ず。