音楽というものは繊細で情熱的で、美しく直接的に心に響くものだから、司馬はずいぶんと、この世で至上のものは音楽だと信じていた。
ときに大きく燃える火のように気分を高揚させ、またときには人の目すら届かない海の底のように心を鎮める。友達や家族と話すことや遊ぶことももちろん楽しいのだけれど、それ以上の、何か貴い楽しみがそこにあるのだとずっと思っていた。
だからウォークマンは手放せない。傍で、頭の中で、語られる意思、決意、思い。言葉も美しい、ことに、英語の字列のそれは。簡潔で深く、潔い。
音楽があるだけで、どんな景色もどんな空も、違って見えるから不思議だ。音の洪水に飲み込まれ、目にもフィルターがかかる。青くかすんだ空は、自身への鼓舞を意気込む歌声にやわらかに馴染んで、向こう側には目指す未来があるのだと、そう錯覚させるような美しさがあった。
氾濫するそれらに、司馬は心地よく身をゆだね、ときに目を閉じる。
Don't stop me now.
I'm having such a good time.
I'm having a ball.
Don't stop me now……
「――司馬くん!」
どきりと心臓が鳴る。
見上げると、兎丸が席の傍まで来ていた。司馬の机に手をつき、顔を覗きこむ。
「授業、終わったよ? 気付いてる?」
慌てて司馬が周りを見回すと、たしかに教室の中はざわついていて授業中ではありえなかった。仕草に、兎丸が笑う。照れくさく、司馬も笑った。
「ご飯食べに行こうよ」
頷く。兎丸の手には既に、弁当の包みの結び目が握られていた。屋上に行けば、特別な用でもない限り、野球部の一年生たちが待っているだろう。
「ねー、聞いてよ、昨日ね、中学校のときの友達から電話が来たんだけどさー……」
席を立ちながら、喋る声は快い。ヘッドフォンをはずして、カロリーメイトを持つ片手にかけた。「びっくりしちゃってさ」と兎丸は楽しげに話を続けている。たのしいな、司馬も思い、微笑んで先を促す。
そんな司馬を見上げた目が
「あっ」
と声を上げた。
「司馬くん、今、音楽聞いてないんだね」
あれ? と司馬は自分の耳に手をやる。気付かなかった。何時の間にか、外していたらしい。ぷらぷらと、手にかけられてヘッドフォンは揺れている。
「えへへー、なんか嬉しいな。司馬くんいつも音楽聴いているから。あ、音楽聴いてる司馬くんが、嫌って意味じゃないよ?」
にこにこと兎丸は言う。
「音楽聴いてない司馬くんも、好きだなって話」
ぼくも、きみが、と返したい声は喉に詰まった。
並んで歩く廊下の窓、兎丸越しの景色はやさしく、平穏に溢れている。たわんだ光は廊下に差し込んで、辺りを明るく照らし出して。
ああ、と、喉が焼けるような愛しさで、司馬は思う。
音楽が邪魔になってしまうほど、素敵なものがあるなんて。