夜道に2人で

 真っ暗な世界が広がっていた。
 あんまりにも外灯が少ない。マフラーに顔をうずめながら、電気代ケチってんじゃないの? と僕は思った。
 理系に3学部、文系に5学部、芸術に4学部抱えるうちのキャンパスは、その数にそぐわないほどの敷地を持っている。交通の便の悪い、辺鄙なところにあるということもあるのだろう。
 広い芝生に、周りを覆う雑木林、大きく作られた湖。その規模はまるでアメリカの大学のようだと、評価されている。
 環境破壊が人体に無視できない影響を及ぼし始めた昨今、自然の中での勉学を売りにして、着実に生徒数を増やしているらしかった。
 僕といえばそんなところが志望理由ではなく、ただ得意な分野の勉強と、偏差値が一致しただけ。しかも学舎は奥の奥の方で、いい加減このまるで虫のように沸いている街路樹にも辟易していた。
 冬枯れの今、上の方から葉のない痩せた枝が分かれ、けれど広がらず高く天をつく洋木を多く並べている光景は、まるで白雪姫の迷い込む不気味な森のようだ。今にもドワーフや吸血鬼が出てきてもおかしくない。
 そんな道に外灯が少ないのだから、僕の毒づきの1つや2つ大目に見てもらいたいところだ。
 吐息が夜の空気を白く湿らせて、行く先をぼやかしやがて消える。
 外門はまだ見えない。夜の1人ハイキングは、その終わりの片鱗すら見せてくれなかった。
 ぽち、と、脇に抱えた鞄の底が緑色に光っていることにそのとき気付いた。メール着信を、背面ディスプレイが伝えているらしい。ジッパーをあけて、手探りに小さな機械を探す。
 メールは司馬くんからだった。
『いまどこ?』
 そんな簡単な一言。どこも何も外灯もないくっらああい道を1人で歩いてますよー! とあてつけかけた気持ちを抑えて、手袋をとって脇に抱え
「だいがく」
 とこっちも簡単に返した。寒くて変換するのも億劫だ。
『だいがくのどこ?』
 なぜか向こうもひらがなだ。もしかして、同じように寒いところにいるのかな? そう思うと、なぜか笑いが零れた。どこかわからないけど、絶対に近くはない距離に離れた僕と司馬くんが寒さに同じようにメールを簡略化して、送りあってる。その偶然がうれしくて面白かった。
「こうしゃでて、あるいてるとこ。すごいこわいよ」
 こう送ったら、遠くで司馬くんも怖がってくれるかな。うちの学校のこと知ってるし、すごく怖がりだからもしかしたら小さく震えてるかもしれない。
 そう思うと、周りを見回しても街路樹も落ちた木の葉も真っ暗な道の先もちっとも不快じゃなくなった。
 これを通じて、僕は司馬君の気持ちを推し量ることができる。感謝したいぐらいだ。なんの印象もない光景だったら、こう送ったって司馬くんがどう反応したか想像つかない。
『うん、こわいね』
 こう返ってきた。やっぱり、夜のうちの学校を怖がってくれたみたい。それで怖そうだね、じゃなくて、怖いねっていうのが司馬くんらしい。
 僕はそれでなんだか満足してしまって、返信は電車に乗ってからしようと思った。こんな簡単なのじゃなくて、もっと長くて面白いの。
 その内容を考えながら歩く道のりが、もっと長くなればいいのにとすら思ってしまう。
 どう送ったら楽しんでくれるかな、とか次いつ遊べるかな、とかそんなことばかり周りを見ないで、考えていた。だって一本道だしね。どう頑張ったって迷えないし。
 そしたら、すれ違おうとしていた人がいきなり目の前で立ち止まった。もう9時を回ろうというところなのに、校舎に戻る方向へ歩く人というのは、気付いてみれば珍しい。
 人気ないキャンパスはこんな季節でも実は変態さんの楽園らしい。うちの学部の女の子たちも、そういえば被害にあったってきいた。寒いのによく出すよね、と同じ男としてちょっと尊敬する。人間としては最低だと思うけど。
 それはともかく、どうしよう。
 一歩ひいて、外灯のないせいで格好もよくわからないその人を眺める。
 変態だとわかったら、股間蹴って逃げよう。……ちょっと酷すぎる気もするけど仕方ない。出す方が悪い。
 そう思って、とりあえずは穏便にすり抜けようとした。野球部で培ったフットワークが、こんなところで役に立つ。動こう、と意思を持った体の動きが変に懐かしかった。やっぱ、野球サークルのある大学行けばよかったかな。

「ぴ……のっ」

 すれ違い様に腕をつかまれて、一瞬ぞっとしたあとに声に気付く。呆然と見上げた。
「し、司馬くん?」
「び、び、びっくりした。い、きなり、走ろ、うと、するんだもん」
 司馬くんが小さく頬を膨らませたのが、雰囲気でわかった。
「だって!」
 と言い訳しようと思ったけど、わざわざ迎えにきてくれたみたいなのに変態さんと間違えたなんて言ったら可哀想過ぎる。
「う……ご、ごめん。ちょっとびっくりしたから」
 えへへ、と司馬くんが笑った。
「お、驚かそう、と、し、たから、ね」
 僕らは歩き出しながら、今度は2人で笑った。携帯を打ったまま手袋を付け忘れていた手に、司馬くんの指が絡む。はじめはよくわからないけど、少し経ってじんわりと暖かくなる。
「迎えにきてくれたの?」
「そ、う」
 司馬くんが微笑んだ。嬉しそうに。僕が嬉しいのが、きっとわかったんだろう。
「ありがと」
「ど、いたしまし、て」
「夕ご飯一緒に食べれるの?」
「う、ん、比乃、は?」
「へーき! ね、駅前のイタリアン行こうよ。前から食べてみたくてさー」
 僕のいうこと1つ1つに、司馬くんがきちんと頷いてくれる。僕はもっともっと話したくなる。
 さっきのメールも楽しかったけれど今も充分嬉しくて、結局司馬くんさえいれば僕に嫌なものなんかないのだった。