どこまでも、どこまでも、きっと宇宙までが青いのだろうと思えるような、そんな日でした。屋上の手摺は雲を固めたように、白く、それによりかかる牛尾先輩のシャツもやはり白でした。
 夏の日差しを浴びて、白く輝いていました。
 そんな牛尾先輩から10Mも離れたところで、獅子川先輩は四角い出入り口に寄りかかり、なにやら雑誌を捲っています。この強い日差しの中では、きっと目を上げれば光る斑点が見えることでしょう。
 牛尾先輩は何故か、獅子川先輩は雑誌に目を落とすために、二人とも俯いていました。
 ゆっくりと、牛尾先輩が顔を上げました。獅子川先輩はそれに気づかずにページを捲っています。
「ししかわくん」
 牛尾先輩の声はひどく儚げなものであったのに、獅子川先輩は顔も上げずに生返事を上げました。
 牛尾先輩が、また寂しそうに俯きます。
「とびおり、たいんだ」
 俯いたまま、深く深く牛尾先輩が手摺に寄りかかりました。それでも獅子川先輩は顔を上げません。あー、ともうー、ともつかない小さな唸りを返すだけです。
 長い睫が伏せられて、くるりと牛尾先輩が身体の向きを獅子川先輩から、柵の外の景色へと反転させました。
 学校から真東にあたる山に目をやりながら、
「だって、こんなにこんなに空は広くて綺麗なんだ。今ここで飛び降りたら、きっと空になれるのに」
 十二支の歴史は古く、決して校舎も新しくありません。手すりは低く、また獅子川先輩へ向きなおした牛尾先輩は、簡単にその上に腰掛けます。
 もう妨げるものの何もない空を、背をそらして見つめながら。
 やっと獅子川先輩が顔を上げました。
 けれど、空を見上げている牛尾先輩は気づきません。
 何を考えているのか、表情も変えずに獅子川先輩は牛尾先輩の白い顎と喉を見ています。
 また、何事もなかったかのように獅子川先輩の視線は雑誌へ戻りました。それをまるで待っていたかのように、牛尾先輩が獅子川先輩を見ました。
 そのときにはもう、その一瞬前の獅子川先輩の行動の片鱗もなく、まるでずっと雑誌だけを見ていたようでした。
「とびおりてもいいかなあ」
 独り言のようでした。止めて欲しいようにも聞こえましたけれど、さっきまであんなに見つめていたのに、もう牛尾先輩は獅子川先輩を見もせずに。
 獅子川先輩が、やっと顔を上げます。とてもゆっくりに見えました。時には猫のように柔らかに細められる目が、強い光を湛えて牛尾先輩に向けられました。

「牛尾」
「ん?」
 呼びかけられ、牛尾先輩が獅子川先輩に顔を向けます。二人とも、今までの言葉はなかったかのように、お互いを見ていました。
「こッち来いよ」
「何、何か面白いものでもあったのかい?」
「いッいから」
 牛尾先輩が、首を傾げて獅子川先輩へ歩み寄ります。
 時間が急に、早く流れ出したようでした。今までの流れ方がゆるやかだったのかもしれません。
 牛尾先輩は獅子川先輩の前にしゃがみました。その手を、獅子川先輩が引き寄せます。簡単に、牛尾先輩は獅子川先輩と同じ壁を背にして座りました。獅子川先輩の指が摘む雑誌を覗き込みます。何事か、獅子川先輩が言って笑いました。牛尾先輩が目を瞬いて、やっぱり笑います。
 楽しそうに、二人は雑誌を眺めています。ときどき会話に出てくる地名から、どうも雑誌は観光誌のように思われました。二人は楽しそうに、幸せそうに雑誌を眺めています。
 やがてチャイムが鳴りました。昼休みは終わり、二人は連れ立って屋上を出て行きます。
 そこで、ようやっと私たちは息を吐いたのです。


 先ほどまで率先して出歯亀に興じていた猿野くんは、二人が消えたドアを睨み付けていました。二人が来たことに一番に気づいた兎丸くんは、深く俯いていました。その兎丸くんに、二人に挨拶にいくことを引き止められた司馬くんは呆然と獅子川先輩が座っていた場所を見ています。子津くんは眉間に皺を寄せ、泣きそうな顔をしました。始めから不機嫌であったような犬飼くんは、さらにその色を濃くして、猿野くんと同じように2人が消えたドアに、険しい目をぶつけていました。
 誰も彼も、二人の先輩に怒っていたわけでも悲しんでいたわけでもありませんでした。

 ただ、空を見る牛尾先輩の目が、雑誌を読んでいるはずなのに一向にページを捲らない獅子川先輩の手が。

 まだわたしたちのあずかり知らぬ心の深い部分を突付いて、未熟な私たちにはそれを怒りと悲しみ以外でどう表せばいいのか皆目検討見当つかなかったのです。
 ただただ、二人が私たちからそう見えたように幸せであればいいと願う外、自分たちの心を表す術を知りません。