窓は冷たい。
気温は寒く、暖房の効いた室内では硝子に露が滲んで、白く曇り、たわいない悪戯書きに削られている。
牛尾もまた、手袋のまま、いたずらに一筆に皮手袋を滑らせた。
意味の無い一文字。
「君は正しいよ」
勢いで、言う。傷だらけの顔で、頬を腫らした獅子川は顎杖を突いたまま答えない。
窓の外を……正確には、窓を眺め続けた視線を教室の中に戻し、獅子川に向け、牛尾は繰返す。
「君は正しいんだ」
「そッれで?」
興味がないと言わんばかりに、獅子川は心無く先を促した。
2人だけの教室はがらんとしていて、気温以上に寒々しい。
「でも、正しいことが、いつでも通るとは、限らないんだよ」
やっぱり、それか。と、獅子川は牛尾に向けていた目を気だるげにそらす。
窓からは弱弱しい日光だけが差し込んでいて、うすくらい中で、牛尾だけが獅子川を見つめていることになる。
「間違ってることは多い。その中を、正しいことを貫き通そうとすれば、傷だらけになるんだよ。まず、間違っていることを直さなくちゃいけない。正しさを唱えるのはそこからだ」
「興味ねえな」
「どうして!」
ひめいに似ていた。
「せッけえことには、興味ねえよ」
「でもそうじゃなくちゃ……!」
「そッんなことは、てッめえだけが、気にしてろや」
立ち上がった獅子川が、牛尾を振り返る。廊下に繋がる戸は開いたままだ。
わがままを言うこどものような顔で、牛尾は悲しみを浮かべて立っている。
「腐ッたやつらは、オッレがぶッ潰す。そッの上を、てッめえが、鹿目やへッびがみを連れて歩きゃあいい。簡ッ単だろ?」
「そうしたら、君はどうなるんだ!」
獅子川は笑った。
まったく、健康的に。
「こッのオレがおッ前の後ろを歩いているなんざ、ぞッとしねえぜ。オッレは、先を行く漢だ。たとえば、旅路の向こうに、なッにがあろうとも、な」
牛尾は自分の焦燥が伝わらない焦れったさに唇を噛んだ。伝わっていないのか、伝わった上でのことなのか、それすらわからない。
ただ、このまま獅子川を行かせることは出来なかった。獅子川だけを行かせることは、ならないと思った。
「行かないでくれよ」
「聞くと思ッてんのか?」
「……思っていない、けれど」
ふん、と獅子川は鼻を鳴らす。
牛尾は俯く。床のタイルの汚れが、ばらばらに目につく。しばらく、黙って、顔を上げた。
「愛してるんだよ、行かないでくれ」
獅子川は、黙って牛尾を見ている。
牛尾にはわかっていた、この言葉にすら意味のないことを。
旅人は、恋人を捨てても出て行くものなのだから。ましてや、片思いの自分など。
無力感に苛まれる牛尾を、獅子川は黙ってみている。
もう阻むものはないはずなのに、なぜか動けずに、黙って、牛尾を見ている。