プルルッ、プルルッと電話でない音が鳴った。インターフォンだと、暫しして気がつく。受話器をとって液晶を覗くと、兎丸に猿野、御柳、辰羅川、犬飼……それに自分が粗い画面に映っていた。
「え、えっと、兎丸くん?」
「ここ開けてー。司馬くんちセキュリティきちんとしているから、中からじゃないと開かないんだよね。住民は指紋認証だし」
「あ、開けるって?」
 猿野の口が、兎丸に近づいた。
「え……あ、今子津くんが持ってる受話器の入ってたスタンドあるでしょ? その開ってかかれた白いボタン押してって」
 言うとおりにすると、エントランスの自動ドアが開いたらしい。人差し指と親指で円を作った兎丸を先頭に、みなが画面外に消えていく。それを見送りながらついでにドアロックも外し、子津はふと嫌な予感がした。
 自分の顔をした誰かが、悪戯そうな笑みを浮かべながらこちらにピースして、自動ドアを抜けていったのだ。
 ものすごく、その表情に見覚えがあった。あまりにもあってほしくない事態に、思考が進まない。いや、本当は思考するまでもない。わかっている。そうなると、ぜんぜん関係のないはずの猿野がなぜか司馬の家のセキュリティの解き方を知っているようだったのかも説明がつく。
 頭から血が引けて、へなへなとその場に座り込んでしまった。いや、いや、そんなまさか。力ない否定の言葉ばかりが頭の中を踊り狂う。
 ひたすら時が進むのを拒否していた頭を、強かに誰かの拳が打った。
「なーに、ぼーっとしてんだよ?」
 自分が自分を見下ろし、偉そうに言い放った




「ま、まさか猿野くん……だなんて……」
「子津くん、気持ちもわかるけどそう気を落とさないで……。じ、人生長いんだしさ!」
「そうっすよ! 長いんすよまさかこの先前科もので生きていくようなことになったら……!」
 かたかたと青褪めた司馬が震える。同じような表情しても、微妙に違うなーと所詮人事の兎丸は薄情にも心中そう呟いた。
 台所では家主である司馬が、猿野の体を使って茶を淹れている最中だった。御柳の姿の辰羅川が、それを手伝っている。見た目の普段ならば、しょうもないことをやっていそうな組み合わせだ。
「てっめー、誰が前科ものだ誰が!」
 ゴキンッと、子津の手が思いっきり青い髪の頭を殴った。力加減を勘違いしていたのか、自分の拳の方を痛がる結果となったが。
「ちょっとお! 司馬くんの体なんだから乱暴しないでよね兄ちゃん!」
「そ、そうっすよ! それに猿野くんの勢いじゃ拳が壊れかねないっすよ! やめてくださいっす!」
 二人の剣幕にぐっと詰まって、子津は己の手に視線を落とす。ふんと腕を組んで、胡坐をかいたままそっぽを向いた。
 その向いた逆方向では、今だ親離れのならない犬飼を、辰羅川の顔を有効に使い、御柳が追い詰めている真っ最中だ。見えない視界に観念したのか、小道具か、再び眼鏡がその顔に戻されている。
「ですから犬飼くん、女性というものはそう恐ろしいものではなく……犬飼くんのお姉さんは特殊ケースで、普通の女性は無理やり女装させたり挙句の果てにそれを写真にとってえんえん脅し続けたりはしません。そりゃ、触手が出てきたり牙が生えたりすることもありますが、犬飼くんを取って食おうなんてこと……時々はあるかもしれませんけど」
「辰の顔でそういうこと言うのやめろ!」
「い、犬飼くんがわたしにそういう言い方をするなんて……! 反抗期なんですね、そうなんですね?! ああ、情けない! ここまで丹精込めてお育て申し上げたのに! これでは死んでお詫びするしか……」
 よよよ、と傷ついた風情の辰羅川の顔が抑えられ、わざとらしく泣き伏した。
 初めこそ無視していた犬飼だったが、泣き声が段々と力なくして行くのにつれてちらちらと視線が向かう。死角となった口で、ぺろりと舌が出されているのに気付かずに、だ。
「私の顔で遊ばないでください」
 御柳が紅茶の盆を持ったまま、呆れたように辰羅川を見下げた。犬飼くん、まさか信じないでくださいね、と紅色の揺れるティーカップを渡す。ちぇっと舌打ちして、辰羅川が姿勢を正した。大人しくなったのを認めて、ティーカップが渡される。
 4つ並んだうちのもう1つは兎丸に渡り、司馬と子津には猿野から渡した。とりあえずそれぞれが飲み物を手に持ち、何か言いたげに互いを眺める。
「……何が原因なんでしょうね?」
 口火を切ったのは、聡明そうに眉を寄せる御柳だ。そういえば隈取がない、とここにきてやっと犬飼は気付いた。これは朝からの現象らしい。
「原因っつっても、こんなのの原因を調べるなんて……それこそ国家レベルじゃない?」
 数少ない、違和感のない兎丸がそう応答する。
 ずず、と紅茶を啜りながら、子津が片手をあげた。
「オレ、心当たりあるかも」
「ええっ?」
「早く言えよこんバカ猿!」
「うっせえよ言う暇なかっただろバカ! ら!」
「切るなッ」
 ひょい、とツッコミを避けて、ごほんと子津の声が咳払いをし一同を見回す。
「こん中で、十二支近くの夜摩狐神社で初詣したやついねえ? たぶん昨日」
「やまこじんじゃあ?」
 あからさまに漢字変換できない発音で、辰羅川が聞き返した。それだけの動作で頭が悪そうに見えるのがまた可笑しい。
「あ、僕と司馬くん行ったよー。夜摩狐先輩が巫女さんやってるとこでしょ?」
「ああ、そこならば私どもも詣でましたね。ですよね? 犬飼くん御柳くん」
「で、オレと子津っちゅーも行った……と。これで全員だな、よく時間ぶつかんなかったもんだ」
「それがどーしたのさー?」
 猿野が考え込んでいるときによくそうするように子津の眉が顰められたのを、兎丸が覗き込む。一緒に行ったということで事情がわかりそうな子津も、司馬の顔を困ったように振った。
「いやさ、マジであそこ霊験あるっぽいんだよ。で、それがこの現象の原因ってわけだ!」
「兄ちゃん……宇宙からの電波でも来てるの? 白い服着る?」
「いやマジで聞けって! それでオレ凪さんになったことあんだよ!」
「猿野ー、マジおめえ医者行った方がいいぜ」
「こんにゃろ……っ」
「あ、あの、ほんとうにマジメな話みたいっすから……とりあえずみんな聞いてあげてくださいっす……」
 懐疑的でありつつも、ともかく皆黙った。
「マジなんだって。あとで聞いてみたら、凪さんうちの間取りとか知ってたし。オレも凪さんの部屋入ったことないのに家具の配置知ってたし。ありえねえだろ、普通に」
「向こうはともかくお前はストーカーでもしたんじゃねえの」
「やるなら下着ドロじゃーッ」
「……あ、そう」
「猿野くんを言い負かそうとするだけ無駄ですよ御柳くん……それで、その現象が私どもにも起こったと?」
「そ。たぶん」
「それって、あの神社にお参りに行ったら必ず起こることなんすか?」
「いやーそれがよ」
 がしがしと、子津の頭をかかれる。ヘアバンドが斜めに傾いだ。それを横から司馬の手が直す。
「オレはそんとき……いっぺんだけ凪さんになってみてえって思ったんだよ。だからそうなったんだと思うんだけど」
「オレ、別に信二になりてえとか思ってねえぜ?」
「私もこれといって……」
「そ。で、オレも別に子津になりてえと思った節はねえし」
「僕も、司馬くんになりたいってお願いはしてないっすね……」
 視線を向けられ、猿野もふるふると首を振った。
「わっけわかんねえよなあ、どういうこったろ」
 言い出したくせに、投げ出す仕草で子津の両手が上にやられた。それに目をやりながら音を立てずに、マナーある仕草で紅茶を口に含んだ御柳が、何かに驚いたような素振りの後咽る。
「おい、何やってんだよ?」
 辰羅川の手が軽くその背を叩く。尚咳き込みながら、御柳の視線が犬飼に向いた。
「犬飼くん……確かあなた……」
 涙の滲んだ、目尻の美しく釣り上がった幼馴染の目を、疑問符を浮かべて犬飼が見やる。こほん、と最後の咳を終えて
「お参りのとき御柳くんと喧嘩して、『バカ猿と御柳が、一日でいいから大人しくなりますように』って、わざと猿野くんと御柳くんを同列に扱って当てつけにお願いしてませんでした……?」
 暫し、沈黙。
 ほとんどの視線が、戸惑う大人しい猿野の顔と、苦虫を噛み潰したような表情で犬飼を見やる御柳の上を彷徨い、
「このやろーッ! バカ犬めー!」
 思わず立ち上がったそばかすの顔が怒鳴ったのを皮切りに、非難が犬飼に集中した。
「し、信じらんねえ! てめえのせいだったのか!」
「なんてことしてくれるんすか犬飼くん!」
「犬飼くんのバカー!」
「ですから、常日頃から物事の後先を考えてから行動してくださいと……」
 普通そんな願い事をしたところでこうなるとは思わないだろう、という道理を憤りに無視して全員犬飼に八つ当たる。通常なら開き直れても、御柳の顔といえども辰羅川にまでこんこんと諭されては犬飼も意気消沈してしょんぼりと怒声を聞いていた。
「もー! ありえないよね、ほんとありえない! どれだけ僕らが困ったと思ってんのさ! しかも複雑怪奇に入れ替わってさー……」
 そこまで言って、はたと兎丸は言葉を止めた。他のものはそれぞれ自分の不満をぶつけるのに夢中で、その不自然に気付かない。一番違和感の甚だしい、弱弱しい猿野だけが無言で首を傾げ異常を尋ねたが、兎丸は作り笑いで手を振った。
 ……そうだ、おかしい。
 犬飼の願い事を叶えるだけならば、御柳と辰羅川、猿野と司馬が入れ替わればそれで済むことだった。わざわざ子津が挟まれる必要はない。
 どうして、そんなことになったんだろう? と思ったと同時に、昨日神社の前で心中呟いた、己の願い事が鮮やかに胸に蘇ってきた。
(今年も兄ちゃんとか子津くんとか犬飼くんとか辰羅川くんとか御柳くんとかその他もろもろが、面白いことしてくれたり、おもしろいことになりますよーに!)
 いや、確かに面白かった。部外者として、実はこれほど面白い光景もなかった。雰囲気に飲み込まれ怒りながらも、……たしかにすごく面白かった。
 しかし、全員に怒れる鬼が乗り移ったようなこの状況でそのことはどうしても言い出せない。
 とうとう正座して頭を下げ、説教に聞き入ることになった犬飼に、兎丸は後ろから小さく手を合わせて、心の中で全力で謝罪を繰返した。