「実は、それには……所謂、惚れ薬というものが入っていたんだ」
 思案顔で牛尾が告げる。間を開けず、仔細を続けようとした。
「もちろん、必ず効くというわけではな、」
「はあっ?」
 それを遮って猿野が立ち上がる。牛尾の肩を掴んでがくがくと揺さぶった。
「マジッスか?! 惚れ薬って、あの、あの惚れ薬ッスか?! 一番に見た人にメロメロリンになる、あの?!」
「そ、そうだね、世間一般的にはそういう……」
 牛尾を離し、ペットボトルを引っつかんで猿野が駆け出していく。おそらく、凪に飲ませるつもりなのだろう。牛尾がこほんと咳をして居住まいを正した頃には、もう校門の傍にいた。
「もう、あれを誰かに飲ませても意味はないんだけれど……」
 苦笑交じりに呟かれた言葉に、子津が目を瞠り、そして駆け出す。下校時刻を過ぎている為閉められていた校門に四苦八苦しているところを捕らえた。
 二人して戻ってくるところを見ると、猿野は納得したらしい。
「どういうことっすか、主将〜〜。だって、これが惚れ薬なんでしょ?」
「ごめん、ごめん。実はね、惚れ薬はもともと少量しかなかったんだ。多量に摂取すると劇物にもなり得るからね。でも、その量を全て摂取しないと意味がない。だから、きっと一計を案じたんだろう」
「つまり、どういうことっすか?」
 素早く聞き返す言葉に賢い、と牛尾はまた笑む。
 きっと言わんとしていることはうすうす感づいているのだろう。証拠に、ちらちらとペットボトルの蓋の部分に目がいっている。
「飲み口に塗りつけたんだろうね、たぶん」
 終始疑問符を浮かべていた猿野が、愕然とした顔をした。
「……てことは……」
「その中身自体は、ごく普通の飲み物だってことだね」
「……くっそおおお! 凪さんとのあんなことやこんなことがああああっ!」
「ははっ、本当に、猿野くんは愉快だね」
 地面に座り込みながらベンチを叩いて絶望を表す猿野を見ながら、本気か冗談か、牛尾から笑い声が上がる。
 もうどちらからツッコミをいれればいいか、悩んだ挙句子津は諦めて息をついた。それに、ツッコミよりも切実な問題が彼を悩ませている。
 ある一点について、このまま話題にはせず流してほしいという願いの達成のために、ツッコミにばかり煩ってはいられなかった。
「それで、猿野くん」
 どうにか笑いを収めた牛尾が、猿野の傍にしゃがみこむ。
「子津くんを好きになったかい?」
 この人は。
 絶望に目の前の暗くなった子津は、「ん?」と猿野に対して首を傾げる牛尾の背に悪魔の羽根を見た。
 わかっている、決して牛尾が意地悪く言ったわけではなく、ただ単にこんなにも触れられたくない話題だと気付いていないのだ。それでも、心中ぼやく自分を抑えきれない。どうして、そのよく回る頭が今に限って、情緒面に動いてくれなかったのか。
 鹿目辺りにこの逡巡が漏れたら、バカの一言で切り捨てられただろう。『その男に、たとえどんなに些細なことでも常識を期待するな』、と。
「え……」
 地面にべたりと座ったままの猿野の目が、まじまじと子津へ向く。おそらく、ここまでその事実に気付いていなかったのだろう。猿野とはそういう人間だ。もはや諦めの心境で、子津はグラウンドに視線を落とす。
「ええ〜〜? ドキドキ、とかキュン! ……とかは、特にないんスけど」
 猿野の狼狽した声が、塞ぎたい耳を容赦なく突いた。
「あれ、そうなのかい? じゃあやっぱり効かなかったのか……」
「やっぱり?」
「いやね」
 牛尾が立ち上がり、空を見上げる。
「もらい物だったんだけれど、さすがに効くとも思えないし……持て余していたところだったんだ。そこに虎鉄くんたちが」
「あっ、そっかあのクネ虎ども、凪さんにそんな不埒なものを使おうと……!」
「や、君も無茶苦茶飲ませる気満々だったじゃないっすか」
「いっ、いや! それとこれとは話が……」
「ぜんぜん違わないっすよ。同じ話もいいとこっす」
「違……」
 まだ言い募ろうとした往生際の悪い口が、笑い声に割り込まれ、遮られる。
「まあ、今はそれはともかくとして。異常もないみたいだし、そろそろ帰ろうか?」
 結局、始終笑いっぱなしだった牛尾が、鍵を手に部室を指差した。