| 表面は木製を装って模様の掘り込まれている目の前の扉は厚い。冗談か、放射能さえ通さないと聞いたことがあったが、いざ意識してみるとそういうこともあるかもしれない。 いつものように、玄関まで出迎えに来ていた車に牛尾の屋敷(部屋)まで運ばれた獅子川は、ぶすくれた顔で声をかけずにノブを捻りその戸を押し開けた。ニルギリが、頭を下げてすぐ脇に控えている。 「あッいつ、どこだ?」 「御二階のサブリビングに」 戸惑い、傍らの階段を見上げた。 「どッこだかわかんねえよ、サブリビングッて言ッわれてたッてよ……」 「こちらの階段をお進み頂きまして、左に曲がった突き当りの扉を」 「あッあ、あッそこか」 途中で合点したと説明を遮り、勝手知ったると遠慮もなしに、カーブを描く階段に足を運ぶ。登りきった突き当りを左に進み、二つドアを越えてその次のノブを握った。扉の開ききる前から 「やあ」 と声がする。 「呼びつけて悪かったね」 「悪ぃと思うならかッえらせろ」 「折角来てくれたのに、つれないことを言うなあ」 革張りのソファに浅く越し掛け、赤い中身の揺れるワイングラスを指先で回しながら牛尾が笑う。何も言わず、獅子川は拳を固め強かにその頭を殴った。 「い、痛いよ。なんだっていうんだい」 後頭部を抑えた、非難がましい目で見上げられる。 「うッせー! 未成年がなッに飲んでんだ!」 衝撃から庇うように頭より高く上がっていたグラスを取り上げる。何が、「なんだっていうんだい」だ。白々しいにも程がある。見せ付けるように手にしておいて。 「アウトローというのは、法律を遵守する生き物なのかい?」 背もたれに顎を預けて、獅子川を振り返る牛尾がぼやく。 無視しながら廊下に続くドアを開けて、ワイングラスをそこに控えていたニルギリに預けた。ついでに、帰るまで放っておいてくれ、とも。無言の会釈で了承を表し、執事は階段を降りていく。後手に扉を閉めながら 「じッぶんの好きなようにすッのがアウトローッだッ。法律もなッにも関係ねえッ。背ぇ伸ッびなくなんだぞ」 「僕はもう成長期を過ぎたから平気さ」 「おッとこの成長期は25まッでだ!」 怒鳴る剣幕に、牛尾が欧米人のように両手を広げて肩を竦める。まるっきり聞く気のないらしいその仕草にもう一度拳を固めたものの、「じゃあ紅茶でも飲もうか」と牛尾がテーブルの上の内線に繋がる受話器を手に取ったので収めることにした。 四角い、縁に幾何学的な模様の組み込まれた古びた木製のテーブルを挟んだ、牛尾の向かいのソファに両腕を背もたれの後ろに回して座る。 受話器を下ろした牛尾はここに来てやっと獅子川を真正面に見、 「いらっしゃい」 と微笑んだ。 「いらッしゃいじゃねえよ」 「なんだい、機嫌悪いなあ。ちゃんと予定は聞いたじゃないか」 「こッの時間にメールで暇を聞かれたら、電話か何かだとおッもうだろうが普ッ通!」 「もう3度目なんだから察してくれたっていいじゃないか」 「慣ッれてたまるかこんなもん!」 怒鳴ったとき、牛尾の家人の(と、言っていいのか。仕えているらしき)女性が紅茶と砂糖菓子の載った盆を手に表れた。一礼し、獅子川とも牛尾とも目を合わせずセッティングしていく。最後に、先ほどまでの牛尾がつまみにしていたらしいチーズの皿を盆の上に載せて部屋から出て行った。 閉まる扉の音を合図にしたように、牛尾のすすめを待つまでもなく、薔薇を象った砂糖菓子に手を伸ばす。 噛み砕いた中の、ざらざらとした甘みに、紅茶へ手を伸ばした。取っ手もほんのりと暖かいそれに軽く息を吹きかけ、口をつける。舌に染みる液体はそう熱くはない。嚥下し、息をついてからふと 「……そッういや……」 「何だい、また怖い顔して」 「てめえ、あッのくッだらねえもん、結ッ局どうした?」 しばし、ソーサーとカップを持ったまま首を傾げ、ああ、と牛尾が頷く。 ポケットから、人差し指ほどの大きさの小瓶を取り出した。青黒いガラス製の四角柱に、楕円を重ねたような球の蓋。それぞれに正方形のパターン模様に細工が施されている。一見するなら、誰もが香水瓶と答えるに違いない。 「これのこと?」 小瓶を持った手が伸ばされ、自分の胸元で広げた獅子川の手のひらに落とされる。人差し指と親指で摘んで天井の照明へ透かした。 ふと、違和に気付く。 「これ、中身どッうした?」 「ああ、ないんだ。使っちゃって」 聞いた瞬間、鬼を見るかのような目を獅子川は飲んだばかりのティーカップに向けた。 思わず呆気にとられた牛尾が、しばしして事の次第に気付き笑い声を上げる。 「違う、違うよ。君に使ってないってば。冗談だって、あれは」 「わッらうんじゃねえ! 昼間くだらねえこと言ッてきたてめえがわッりいんだろうが!」 「ごめんごめん、でもあまりにも予想外だったものだから……あはは」 必要のない心配をしてしまった上それを露呈し、あまつさえ笑われていることに心底腹が立ってくる。 もう一度殴ってやろうかと思ったが、距離がありすぎた。机を挟んだままでは軌道を見極められ、避けられるのが関の山だろう。けれどこれ以上笑われるのも許せず、軽く小瓶を投げつけた。 笑いの発作に襲われながら、手袋がそれを顔の前で掴む。 「あー、びっくりした。違うよ、使ったのは、僕じゃなくて虎鉄くん」 「虎ッ鉄があ?」 「そうそう。帰りの着替えのときに落としちゃってね、説明したら使いたいっていうから」 「とッきどきろくでもねッえことやらかすな、あいつは」 「楽しいことが好きなんだよ。で、みんなを見物人に連れて使いにいって、僕のもとには空っぽのこの子だけが戻ってきたというわけ」 机の上にちょこんと座った小瓶を再び手にとって、指先で振る。それを眺めながら 「あれか? いッちねんのマネージャーの」 「そうそう。鳥居さん」 「女にしッつれいだろうが。んな薬なんざ。『兄貴と違って、オレは女心わかってますかRa』とか言ッといてなッに考えてやがるあいつ」 「獅子川くんと違って……わ、笑ってないよ? 笑ってないってば。ほ、ほら、たぶん、信じてなかったんじゃないかな。僕も冗談めかしちゃったし。きっと、もし効いちゃったら誰より困ったのは虎鉄くんだと思う。レクリエーション気分だろうね」 「やッぱあのバッカ、ガキじゃねえか」 再び、菓子を奥歯で噛み砕く。 「ははは。でもね、おかしいんだ。結局あれを口にいれたのは鳥居さんじゃなかったんだよ」 「じゃ、だッれだよ? かッき枝か? 夜摩狐か?」 「どちらも外れ。それがね、猿野くんだったんだよ」 「さッるの?」 まったく結びつかない名前に、頓狂な声が上がる。 「虎鉄くんは、鳥居さんのペットボトルの飲み口に塗りつけておいたみたいなんだ、ペットボトルの中にいれても、全部飲み終わったときに自分が目の前にいるとは限らないからね。でもそれなら、一口飲んだだけて事足りる。それで仕掛けておいたら、猿野くんが通りがかって……」 「……あッんのバカ」 思わず、呻く。伊達にサードバカコンビと一括りに呼ばれてはいない。女に対するあの情熱はどうも自分の範疇外ではあるが、それでもここまで状況を示されれば予想の一つもできる。 「納得いった?」 「ああ。ムッカつくほどになッ」 身内の恥を噛み締めるような獅子川に対して、思い出し笑いか牛尾は楽しげだ。 「でッ?」 「で?」 「誰見ッたんだよ、あいつ。一番初めに見たやつにどうとッか言う話だッたろ? まさかおッ前か?」 「ああ、子津くんだよ」 「子ッ津? なッんでんなことになッたんだよ」 「その状況に居合わせて眺めてたら、弾みで、らしいよ」 「そりゃまた……」 目の前の男よりははるかにマシな話であるが、部外者同士大変だろう。一体、どうなっていることやら。話の展開によっては先を考えろと怒鳴りつけてやりたいところだったが、あまりにもあまりすぎる状況に、聞いているだけで気力が削がれた。 「でも、心配いらないみたいだ。猿野くんは変わりないって言ってたし、いつも通り仲良く一緒に帰っていったよ」 「結ッ局効かなかッたッてこッとか?」 「うん、そうかもしれないね」 煮え切らない答えだった。片眉を上げ、補足を待つ。 「実は……あれ、正確には惚れ薬じゃないんだ」 「はあッ?」 |
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