さすがにおかしい、と就寝になって、豆電球のついた灯りを見ながら猿野はようやく思い至った。自分が自分の思い通りにならない。子津にくっつきたいと思うと、その瞬間行動に移してしまう。
 高校生の男が2人くっついてんのとかありえねえよおいおいと叫ぶセルフツッコミもさらっと無視だ。
 どこか酔いにも似ていた。頭の大事なところにロックがかかっている。1部に対して常識とか理性とかそういうものがまったく動かなくなっている。したいことがそのまま行動だ。
 ドーブツじゃねえの、これじゃ。
 今だって、自分の手は布団からはみ出て子津のそれを掴んでいる。手、と言うだけで自分に右手を差し出してくれた子津の顔がほんとうに好きだと思う。困ったように、眉の下がった笑顔。
 思い出した途端、胸がぽっと暖かくなった。その事実に動揺して、顔にも火が灯る。
 もしかして、これは全てあの惚れ薬とやらの効果だろうか?
 心当たりといえばそれしかない。もちろん、アルコールなぞ一滴も口にしていない。やはり、あれだ。考えるまでもなく。
 それにしても、恋とはこんなものだろうか。そこがまず不思議だった。
 猿野にとって、恋で思い浮かぶのは鳥居だ。
 あの笑顔、あの優しさ、あの可愛らしさ。見るだけでハイになる、嫌われたらどうしようと動けなくなる、守ってあげたいと思う。彼女を守れる、恋人という大義名分が欲しい。けれどその一方で、触れることすら怖い部分もある。
 子津に思うのは、ひたすら自分の傍にいてほしいという願望だ。触りたくなるのは傍にいると確信したいからだ。傍にいると思うだけで安心する。安心というのは、限りなく魅力的だ。きっと本能に繋がっている。
 子津は面倒見が良くて色々してくれるけれど、何かをしてくれるのが嬉しいんじゃない。何かをしてほしいと言って、受け入れてくれるのが幸せで仕方がない。
 けれど守りたいとは思わない。
 辛そうにしていたらなんとしても助けてやりたいと思うけれど、それは子津がどうしようもないときだ。他人にしかどうにかできないことなら協力は惜しまない。むしろ子津を助けるのは自分でなければ納得がいかない。そういう気持ちだ。
 鳥居のように守らなければならないと思うのは、子津に対して申し訳ないという気持ちがここに至っても残っている。
 不可侵と庇護欲。それは、恋愛の必須条件ではないんだろうか? 15年間の恋愛(片思い)遍歴がぴしりと歪む。これが惚れ薬でできたといえども恋心だというならば、じゃあ、今まではなんだというんだろう?
 子津を枕にしたまま昼に仮眠を取ったせいで、眠気は一向に訪れない。繋いだ手のひらが汗ばむのを感じながら、そのことばかり考えている。
 恋愛ってなんだ?
 哲学的な難問は、夜とともに更けていくばかりだ。