なほ
あまりある
――懐かしんでも、懐かしみきれないほどの思い出
結局、辰羅川くんも交えて、僕らは県対抗選抜戦二連覇を果たした。
僕らが大阪から灼熱の中、飛行機で帰ってくるのを待っていたかのように、羽田に下りた途端関東の陽射しはゆるんで風は涼しさを増し、葉っぱたちは穴が開いたり端が欠けたりしながら赤らんでいる。夏が、ひたひたと遠のいていくのがわかった。それでもじんわりと滲みる暑さに半分辟易しながら、中庭の真ん中にコンクリートを敷いて上に屋根を被せただけの渡り廊下を、上履きで踏む。
手にはお財布と、いちごミルク。甘いものが飲みたいのと、背が伸びたいのと両方カバーしてくれる頼もしい一品だ。東校舎の屋上へ向かっていた。
渡り廊下の出口が繋がっている廊下を、見知った影が横切っていくのが見えた。銀の髪が揺れながら歩いていくのを、呼び止める。
「犬飼くん」
「……兎丸?」
犬飼くんが歩調を緩めて振り返る。
「屋上行くんでしょ? 一緒に行こ」
野球部のみんなが、そこに集まっているはずだ。
「ん」
並んで階段を目指す。
上から見ると睫は目立つというけれど、したからだってそうだった。向かい合うよりも簡単に、こうしておしゃべりしながら見上げるたび、犬飼くんのモテ具合に納得する破目になる。
じいっと目を(正確には睫を)見つめる僕に、不思議そうに金の瞳が動く。
「綺麗な顔してるなあって、思って」
みていたの、と不審を察して先回りすると、やっぱり不思議そうに鼻を鳴らして、犬飼くんは前を向きなおした。納得してくれたってことだろう。
もしかしたら、あんまり犬飼くんと喋ったことない人には怒ったように見えたかもしれない。そういことを心配しなくていいのかな、ってちょっと思ったんだけど、僕は自分が犬飼くんがそんなことで怒ってるって感じるだなんて、万が一にも思えないので、僕相手なんだからやっぱりそんなことは気にしなくていいのかと1人で納得した。
犬飼くんて、やっぱりすごい。
「犬飼くんはさ」
切り出すと、んとうの間ぐらいの返事が、ちいさく戻ってきた。
「すっきり、してるよね」
いま考えていたことを、伝えてみたかったのだけれど、言葉にする方法を僕は知らなかった。それにしても今の一言は自分でも、いろいろ足りないなと思う。
だから疑問が返っていくるのを待っていたのに、すこし考えた犬飼くんは、よく見てなくちゃ気付かないぐらいだったけど、確かに頷いた。
「……むかし、言われたな」
そうして続けられた言葉は意外だったので、僕はその人とぼくの本当に言いたかったことはもしかして似ているのかしらと
「誰?」
尋ねた。
「女子」
「付き合ってたの?」
「……たぶん」
兄ちゃんが聞いたら、怒りそうな返事。
「どういうときに、言ったの?」
「会わなくなるとき」
ああ、やっぱり、その人はぼくと同じことが言いたかったのかもしれないなあ。僕らが余計なことと気付けない余計なことを省いちゃうところをっていうか、たぶんそんなところを言いたかったんだと思う。
「その話をしたら、辰が、笑ったな」
「なんて?」
「よく見てるなって」
角を曲がり、階段に足をかける。
「でも、違うとも、言ったな」
「へえ?」
「省いていても、もともとが重すぎるから、すっきりじゃないんだと」
もしかしたら犬飼くんは、僕と元カノさんが言いたかったことの意味をわかっているんだろうか。辰羅川くんが言ったことも。だって、過去を反復するその言葉はあまりにもよどみない。意味をわかって覚えてなくちゃ、こんな風に答えられないと思う。
「犬飼くんは、3人暮らしするの、どう思ってるの?」
犬飼くんの中の『余計なもの』と辰羅川くんが言うところの『もともと持っているもの』の違いを知りたくて、訊いた。
犬飼くんは、黙々と階段を登っていく。僕の問いはあまりにも範囲が広すぎて、もしかしたら答えは返ってこないかもしれない。
思ったと同時に、低い声が、ぼそぼそと降って来た。
「……小学生んときにうちにトリアエズが来て」
下級生の女の子たちが、僕らとすれ違い、離れてからきゃいきゃい大声で騒いでいた。
「はじめの夜に、ひとりで玄関のダンボールの中に寝せられて、夜、鳴いてたんだ。すっげえ、怖がって。何度も、見に行ったんだけど、部屋に帰るたんびに泣き出して」
とつとつと、犬飼くんは言う。
「で、芭唐と、辰と、布団をもってって、一緒に寝た。ダンボールの周りを囲んで、布団、ぐしゃぐしゃにして」
布団をぐしゃぐしゃにしたことをわざわざ言う犬飼くんは、合宿の夜の御柳くんに、とても似ていた。
「ああいうのが、たくさんなのは、好きだ」
愛しげに伏された睫は、やっぱり、長い。
僕らが大阪から灼熱の中、飛行機で帰ってくるのを待っていたかのように、羽田に下りた途端関東の陽射しはゆるんで風は涼しさを増し、葉っぱたちは穴が開いたり端が欠けたりしながら赤らんでいる。夏が、ひたひたと遠のいていくのがわかった。それでもじんわりと滲みる暑さに半分辟易しながら、中庭の真ん中にコンクリートを敷いて上に屋根を被せただけの渡り廊下を、上履きで踏む。
手にはお財布と、いちごミルク。甘いものが飲みたいのと、背が伸びたいのと両方カバーしてくれる頼もしい一品だ。東校舎の屋上へ向かっていた。
渡り廊下の出口が繋がっている廊下を、見知った影が横切っていくのが見えた。銀の髪が揺れながら歩いていくのを、呼び止める。
「犬飼くん」
「……兎丸?」
犬飼くんが歩調を緩めて振り返る。
「屋上行くんでしょ? 一緒に行こ」
野球部のみんなが、そこに集まっているはずだ。
「ん」
並んで階段を目指す。
上から見ると睫は目立つというけれど、したからだってそうだった。向かい合うよりも簡単に、こうしておしゃべりしながら見上げるたび、犬飼くんのモテ具合に納得する破目になる。
じいっと目を(正確には睫を)見つめる僕に、不思議そうに金の瞳が動く。
「綺麗な顔してるなあって、思って」
みていたの、と不審を察して先回りすると、やっぱり不思議そうに鼻を鳴らして、犬飼くんは前を向きなおした。納得してくれたってことだろう。
もしかしたら、あんまり犬飼くんと喋ったことない人には怒ったように見えたかもしれない。そういことを心配しなくていいのかな、ってちょっと思ったんだけど、僕は自分が犬飼くんがそんなことで怒ってるって感じるだなんて、万が一にも思えないので、僕相手なんだからやっぱりそんなことは気にしなくていいのかと1人で納得した。
犬飼くんて、やっぱりすごい。
「犬飼くんはさ」
切り出すと、んとうの間ぐらいの返事が、ちいさく戻ってきた。
「すっきり、してるよね」
いま考えていたことを、伝えてみたかったのだけれど、言葉にする方法を僕は知らなかった。それにしても今の一言は自分でも、いろいろ足りないなと思う。
だから疑問が返っていくるのを待っていたのに、すこし考えた犬飼くんは、よく見てなくちゃ気付かないぐらいだったけど、確かに頷いた。
「……むかし、言われたな」
そうして続けられた言葉は意外だったので、僕はその人とぼくの本当に言いたかったことはもしかして似ているのかしらと
「誰?」
尋ねた。
「女子」
「付き合ってたの?」
「……たぶん」
兄ちゃんが聞いたら、怒りそうな返事。
「どういうときに、言ったの?」
「会わなくなるとき」
ああ、やっぱり、その人はぼくと同じことが言いたかったのかもしれないなあ。僕らが余計なことと気付けない余計なことを省いちゃうところをっていうか、たぶんそんなところを言いたかったんだと思う。
「その話をしたら、辰が、笑ったな」
「なんて?」
「よく見てるなって」
角を曲がり、階段に足をかける。
「でも、違うとも、言ったな」
「へえ?」
「省いていても、もともとが重すぎるから、すっきりじゃないんだと」
もしかしたら犬飼くんは、僕と元カノさんが言いたかったことの意味をわかっているんだろうか。辰羅川くんが言ったことも。だって、過去を反復するその言葉はあまりにもよどみない。意味をわかって覚えてなくちゃ、こんな風に答えられないと思う。
「犬飼くんは、3人暮らしするの、どう思ってるの?」
犬飼くんの中の『余計なもの』と辰羅川くんが言うところの『もともと持っているもの』の違いを知りたくて、訊いた。
犬飼くんは、黙々と階段を登っていく。僕の問いはあまりにも範囲が広すぎて、もしかしたら答えは返ってこないかもしれない。
思ったと同時に、低い声が、ぼそぼそと降って来た。
「……小学生んときにうちにトリアエズが来て」
下級生の女の子たちが、僕らとすれ違い、離れてからきゃいきゃい大声で騒いでいた。
「はじめの夜に、ひとりで玄関のダンボールの中に寝せられて、夜、鳴いてたんだ。すっげえ、怖がって。何度も、見に行ったんだけど、部屋に帰るたんびに泣き出して」
とつとつと、犬飼くんは言う。
「で、芭唐と、辰と、布団をもってって、一緒に寝た。ダンボールの周りを囲んで、布団、ぐしゃぐしゃにして」
布団をぐしゃぐしゃにしたことをわざわざ言う犬飼くんは、合宿の夜の御柳くんに、とても似ていた。
「ああいうのが、たくさんなのは、好きだ」
愛しげに伏された睫は、やっぱり、長い。