あはれ
と
思へ
山桜
――せめて君だけはわかって、僕の気持ちは君しか知らない
5時間目の始まりのチャイムが鳴り響く中で、いつまでもたっても、いつまでたっても、嗚咽が収まらなかった。
あたたかな手で僕の頭を撫でてくれる司馬くんの向こうで、うーんと兄ちゃんがぼやく。
昼間でも暗い、蛍光灯をつけていない部室の中だ。
「なにか、変な話だよな」
途切れ途切れの僕の話に、兄ちゃんがそう、首を捻る。変な話も何もない。辰羅川くんは裏切ったんだ、行ってしまうんだ、犬飼くんを、御柳くんを見捨てて……。
「つかよ、たっつん、犬はもとより御柳のこともすげえ大事にしてんじゃん。あいつがなんか、2人を裏切るとかそういうの、変な感じ、すっよな」
「そうっすねえ……」
僕に抱きつかれたままの猿の兄ちゃんが困って助けを呼ぶ声に、いちばんに屋上から駆けつけて、ほかの心配してくれるみんなを宥め、新主将権限をフルに活用して部室を開けてくれた子津くんが相槌を打つ。
「……おれ、も、なにか、へん、だと、思う、よ」
「司馬も?」
「う、ん」
頭を撫でていてくれた手が、帽子になったみたいに、止まった。
「へん。いつもの、たつくん、じゃ、ない、よ。なに、か、かんがえて、るんだろ、たつくん」
「でも……辰羅川くんのことっすから、なんにしろ、考えてるんだとは思うんすよ。もしかしたらいまの僕らにわからなくても、2人のためにこれが一番いいことになるって、考えてるのかもしれないっす」
ニュアンスを選んだ子津くんの言い方は慎重で、その分だけ真剣だ。でも、と疑問符を部室いっぱいに広げて、兄ちゃんが続ける。
「そうかもしんねえけどよー、だとしても、変なとこでテンパっちまってる気もするけどなあ。考えすぎで、おかしな方行っちまうつか。そういうとこあるだろ、たっつん」
「やっぱ、り、話、ちょくせつ、たつくんに、き、聞いて、みるのが、いいかも」
司馬くんの声が、やさしくかたる。
「どうして、とか、なにか、あったの、って。犬くんと、ミヤくんには、ちょっとだけ、内、緒で」
「そうっすね、それが一番無難だと思うっす」
「おーし、んじゃ、今日にでもモミアゲ呼び出し〜伝説の木の下であいつとオレと〜決行だな!」
例によって子津くんがツッコミを入れた。空気がやわらぐ。頭の上の司馬くんのてのひらがやさしい。
みんながいれば、何があったって大丈夫なんだ。
涙はようやく勢いを弱めはじめてくれている。
そうなってやっと、兄ちゃんがどんなに優しくしてくれても、司馬くんが傍にいてくれても、自分が独りぼっちの気分だったことに気付いた。辰羅川くんが知らない人で、みんなも『本当』にはわかってくれなくて、1人ぼっちになってしまったように感じていた。
でも、そうじゃなかった。
ちゃんと、僕の言ったことをわかってくれてた。それで一緒に考えてくれた。知らない人に見えてた辰羅川くんでさえ、こうして言われて見ればたしかに、辰羅川くんかもしれない。
1人ぼっちなんかじゃなかった。
こころの表面に痛いほどこびりついていた錯覚は話し合うみんなの声にすこしずつ拭われて、消えてしまっていく。
「あー」
ひと段落ついって、兄ちゃんが息抜きに背をそらした。
「にしても京都かよ。遠すぎ。その同居の話抜きにしたって、オレらにも言ってねえとか水臭えよ」
暢気に鼻を鳴らす。
「猿野くんに言おうものならすぐ、部活中に広まっちゃうっす……」
「う。……まあ、野球部のポストモダンなオレさまだからな。広まるのはしょうがねえよ」
「関係ないし、そのモダンは古すぎるっすよ!」
思わず目を上げる。兄ちゃんが変な格好してた。あれだ、社会の授業で見た奴、モガとかいうの。華奢なワンピースから伸びる逞しい二の腕がおぞましい。泣いていたのも忘れて笑ってしまった。
僕の笑い声に弾かれたように、良いタイミングで、ドアが開いた。
「お、兎丸。もう平気かよ」
「明神くん」
笑ってる僕を見て明神くんがたらこ唇を吊り上げ、片手に上げたビニール袋を顔の横に上げる。
「んだよ、菓子で釣るのが一番だと思って、授業サボってコンビニ行ってきてやったのによ」
「え、ほんとに?!」
「みんなからのカンパだかんな、そのうち5倍で返せよ」
「多いよ!」
何時の間にか回想の中のカンパメンバーに入り込んでいた兄ちゃんを、「テメェは関係ねえだろが!」と僕にお菓子を手渡してくれながら魔女ばりの火あぶりにかけた明神くんが子津くんに目をやり
「あ、そうだった、辰羅川今日部活休みだとよ、体調不良だと」
僕らは驚いて、顔を見合わせた。
「そ、そうなんすか? 今、そういって?」
びっくりしたあまり、子津くんがどもる。どうしてそんなにみんなが驚いているのか、明神くんは気付いていないみたいで、わざとおじいちゃんみたいな仕草で頷いた。
「そ。あと犬飼も」
「バカ犬も〜? 一緒にかよ?」
「や、別々。辰羅川はいまからもう早退するってよ。クラスで帰り支度してんのに会った。つうか、今犬飼はここにいたぜ」
ひゅっと誰かが息を飲む音がした。
明神くんは続ける。
「一緒にいたわけじゃねえの? てっきりオレは伝言頼まれたのは、子津がこの中にいないせいだと思ってたぜ」
「おい?!」
血相を変えた兄ちゃんが詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待てよ、今なんつった?! わんころがここにいたんかよ?!」
「あ……ああ。サボりにでも来てたんじゃねえの? いまの時間、あいつのクラス英語だしな。これ終われば部活だし。ドアの前に立ってたぜ」
部室の壁は薄い。こしょこしょ声で話していたって、扉の外からも中に人がいることぐらいはわかるほどだ。そして今僕らは、誰か外にいるなんて思いもしていなかったから、普通の声で喋ってた。
座っていたベンチの足が床にうるさく擦れるほど、兄ちゃんが慌てて立ちあがる。
「おい、あいつ追っかけて捕まえんぞ!」
一歩踏み出そうとした。
けれどその腕を、
「さ、猿野くん! ダメっすよ!」
子津くんが掴んで引き止めた。
「んだよ」
凄む兄ちゃんに子津くんが困った顔をする。
「こうなっちゃったら、これは犬飼くんたちの問題っす。僕らの出る幕じゃないっすよ」
「オレらがこの状態にしたっつのにか?」
「それでも、もう犬飼くんが知っちゃったことには、違いないんす」
子津くんはまっすぐ兄ちゃんを見ている。
「もう、2人の、3人の問題なんすよ。ここから先は、僕らは手を出しちゃいけないっす」
しずかな声だったけど、聞いている腕の表面がぴりぴりした。
「……ちっ」
ぶすくれ、乱暴に兄ちゃんがベンチに腰を降ろす。
「――ごめん」
けれど。
「僕、行く」
その逆端に座っていた僕はテコの原理に弾かれたように、走り出した。
「と、兎丸くん?!」
呼び止める子津くんの声を振り切って、驚く明神くんの傍をすり抜けて。お菓子の入った袋をベンチの上に置き去りにして。部室を飛び出した。
子津くんの言うことが正しいんだって、ちゃんと、わかってた。
わかっていたからグラウンドを横切りながらも胸が痛くて仕方なかった。それでもじっとしてられない。
御柳くんの笑顔や、犬飼くんの伏せられた睫や、ゆっくりと瞬く辰羅川くんの目が、涙を堪えるためにきつく閉じた瞼の裏に浮かんでは焼きついて、また浮かんできた。ほろほろ思い出の中から落ちてくるイメージに考え事すら邪魔されている。校門を走り抜ける。
野次馬みたいだ。御柳くんたちが、大事じゃないみたいだ。関係ないのに、こんなに首を突っ込んで。僕は事態を悪くしたの張本人かもしれないのに、いけしゃあしゃあと。
けれど彼らが大事じゃないんだったら、この胸の痛みはなんだろう。どうして、行かなければならないと、小さな僕が叫ぶんだろう。耐えられない、3人を切ない未来へ向けたくないと思う自分を止めきれない。出来ることなんか何もないかもしれないって思ってる。けれど。
学校の柵に沿って植えられた桜の葉はとっくに茶色く色褪せている。高い空を走る風に揺らされてはらはらと、走る僕の上に降ってきた。やさしく、咎められているようだと思う。それを聞き入れられない返事に涙を落としながら、僕は走っていく。太陽のしたで銀色に光る髪に追いついて、どうしたいかもわからないまま。
夏が過ぎたばかりの秋の空はまだ夕暮れに遠く、強くない青を全体に広げてぼんやりとそこにあった。
見上げながら、僕は走っている。行く宛のないこどものように。
不意に肩を叩かれた。
「っ……」
驚きに竦んだ僕が見上げる先には、自転車のサドルに腰掛けた司馬くんが、いた。
「しば、く……」
「おい、つけない、か、かと、思った」
微笑んで息を切らせて、ハンドルに胸を預けている。
僕は一歩退いた。白く咲きそろう槿の花が顔を覗かせる、誰かの家のブロック塀が背に当たる。
逃げ出そうと思った。止められたくなかった。理屈じゃ説明できない。言葉じゃ説得できない。
けれど力ずくで走り出そうとする僕は、とっくに司馬くんに予想されていて、呆気なく二の腕を掴まれる。
「離してよ!」
叫んだ声が憤りに濁る。
「僕……僕……っ」
言葉が上手く出てこない。だけど、
ここで引き止められたくない!
「乗って」
力ずくになっても、逃げ出そうと思った。
けれど、肩を掴んだ司馬くんの手は僕の予想とは正反対にすぐに離されて、整った指が後輪を指差す。
「え?」
「とまるは、はやいけど、駅まで、走り、続けられない、だろ? だから、乗って」
司馬くんが左足を地面から離して、僕が後ろに乗りやすく自転車を傾げてくれる。
驚いて、ひとつも動けなかった。
「と、止めないの? 僕じゃなんにも出来ないからって、邪魔になるかもしれないからって」
微笑んだまま、司馬くんが首を振る。
「……わかって、でも、そうしちゃう、のも、友達」
ペダルをくるりと回して、右足を乗せながら。
「それに、とまるが、そんなに、したいなら、それは、き、きっと、大事な、こと、だと、思う」
サングラスの向こうの瞳は、あんまりにやわらかい。
「だい、じょうぶ。きっと、まちがっ、て、ない。とまるは、いく、べき、な、なんだと、おもう」
また泣きそうになった。司馬くんは僕を否定しない。わかってくれる。
このどうしようもない気持ちをわかってくれてる。
「ほら、の、って? いそいでる、でしょ?」
「う、うん!」
後輪のボルトの上に足を乗せて、掴んだ肩は暖かくて、またちょびっとだけ涙が滲んだ。堪えて前を見る。駅に続く、犬飼くんたちに続くアスファルトの道を。
あたたかな手で僕の頭を撫でてくれる司馬くんの向こうで、うーんと兄ちゃんがぼやく。
昼間でも暗い、蛍光灯をつけていない部室の中だ。
「なにか、変な話だよな」
途切れ途切れの僕の話に、兄ちゃんがそう、首を捻る。変な話も何もない。辰羅川くんは裏切ったんだ、行ってしまうんだ、犬飼くんを、御柳くんを見捨てて……。
「つかよ、たっつん、犬はもとより御柳のこともすげえ大事にしてんじゃん。あいつがなんか、2人を裏切るとかそういうの、変な感じ、すっよな」
「そうっすねえ……」
僕に抱きつかれたままの猿の兄ちゃんが困って助けを呼ぶ声に、いちばんに屋上から駆けつけて、ほかの心配してくれるみんなを宥め、新主将権限をフルに活用して部室を開けてくれた子津くんが相槌を打つ。
「……おれ、も、なにか、へん、だと、思う、よ」
「司馬も?」
「う、ん」
頭を撫でていてくれた手が、帽子になったみたいに、止まった。
「へん。いつもの、たつくん、じゃ、ない、よ。なに、か、かんがえて、るんだろ、たつくん」
「でも……辰羅川くんのことっすから、なんにしろ、考えてるんだとは思うんすよ。もしかしたらいまの僕らにわからなくても、2人のためにこれが一番いいことになるって、考えてるのかもしれないっす」
ニュアンスを選んだ子津くんの言い方は慎重で、その分だけ真剣だ。でも、と疑問符を部室いっぱいに広げて、兄ちゃんが続ける。
「そうかもしんねえけどよー、だとしても、変なとこでテンパっちまってる気もするけどなあ。考えすぎで、おかしな方行っちまうつか。そういうとこあるだろ、たっつん」
「やっぱ、り、話、ちょくせつ、たつくんに、き、聞いて、みるのが、いいかも」
司馬くんの声が、やさしくかたる。
「どうして、とか、なにか、あったの、って。犬くんと、ミヤくんには、ちょっとだけ、内、緒で」
「そうっすね、それが一番無難だと思うっす」
「おーし、んじゃ、今日にでもモミアゲ呼び出し〜伝説の木の下であいつとオレと〜決行だな!」
例によって子津くんがツッコミを入れた。空気がやわらぐ。頭の上の司馬くんのてのひらがやさしい。
みんながいれば、何があったって大丈夫なんだ。
涙はようやく勢いを弱めはじめてくれている。
そうなってやっと、兄ちゃんがどんなに優しくしてくれても、司馬くんが傍にいてくれても、自分が独りぼっちの気分だったことに気付いた。辰羅川くんが知らない人で、みんなも『本当』にはわかってくれなくて、1人ぼっちになってしまったように感じていた。
でも、そうじゃなかった。
ちゃんと、僕の言ったことをわかってくれてた。それで一緒に考えてくれた。知らない人に見えてた辰羅川くんでさえ、こうして言われて見ればたしかに、辰羅川くんかもしれない。
1人ぼっちなんかじゃなかった。
こころの表面に痛いほどこびりついていた錯覚は話し合うみんなの声にすこしずつ拭われて、消えてしまっていく。
「あー」
ひと段落ついって、兄ちゃんが息抜きに背をそらした。
「にしても京都かよ。遠すぎ。その同居の話抜きにしたって、オレらにも言ってねえとか水臭えよ」
暢気に鼻を鳴らす。
「猿野くんに言おうものならすぐ、部活中に広まっちゃうっす……」
「う。……まあ、野球部のポストモダンなオレさまだからな。広まるのはしょうがねえよ」
「関係ないし、そのモダンは古すぎるっすよ!」
思わず目を上げる。兄ちゃんが変な格好してた。あれだ、社会の授業で見た奴、モガとかいうの。華奢なワンピースから伸びる逞しい二の腕がおぞましい。泣いていたのも忘れて笑ってしまった。
僕の笑い声に弾かれたように、良いタイミングで、ドアが開いた。
「お、兎丸。もう平気かよ」
「明神くん」
笑ってる僕を見て明神くんがたらこ唇を吊り上げ、片手に上げたビニール袋を顔の横に上げる。
「んだよ、菓子で釣るのが一番だと思って、授業サボってコンビニ行ってきてやったのによ」
「え、ほんとに?!」
「みんなからのカンパだかんな、そのうち5倍で返せよ」
「多いよ!」
何時の間にか回想の中のカンパメンバーに入り込んでいた兄ちゃんを、「テメェは関係ねえだろが!」と僕にお菓子を手渡してくれながら魔女ばりの火あぶりにかけた明神くんが子津くんに目をやり
「あ、そうだった、辰羅川今日部活休みだとよ、体調不良だと」
僕らは驚いて、顔を見合わせた。
「そ、そうなんすか? 今、そういって?」
びっくりしたあまり、子津くんがどもる。どうしてそんなにみんなが驚いているのか、明神くんは気付いていないみたいで、わざとおじいちゃんみたいな仕草で頷いた。
「そ。あと犬飼も」
「バカ犬も〜? 一緒にかよ?」
「や、別々。辰羅川はいまからもう早退するってよ。クラスで帰り支度してんのに会った。つうか、今犬飼はここにいたぜ」
ひゅっと誰かが息を飲む音がした。
明神くんは続ける。
「一緒にいたわけじゃねえの? てっきりオレは伝言頼まれたのは、子津がこの中にいないせいだと思ってたぜ」
「おい?!」
血相を変えた兄ちゃんが詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待てよ、今なんつった?! わんころがここにいたんかよ?!」
「あ……ああ。サボりにでも来てたんじゃねえの? いまの時間、あいつのクラス英語だしな。これ終われば部活だし。ドアの前に立ってたぜ」
部室の壁は薄い。こしょこしょ声で話していたって、扉の外からも中に人がいることぐらいはわかるほどだ。そして今僕らは、誰か外にいるなんて思いもしていなかったから、普通の声で喋ってた。
座っていたベンチの足が床にうるさく擦れるほど、兄ちゃんが慌てて立ちあがる。
「おい、あいつ追っかけて捕まえんぞ!」
一歩踏み出そうとした。
けれどその腕を、
「さ、猿野くん! ダメっすよ!」
子津くんが掴んで引き止めた。
「んだよ」
凄む兄ちゃんに子津くんが困った顔をする。
「こうなっちゃったら、これは犬飼くんたちの問題っす。僕らの出る幕じゃないっすよ」
「オレらがこの状態にしたっつのにか?」
「それでも、もう犬飼くんが知っちゃったことには、違いないんす」
子津くんはまっすぐ兄ちゃんを見ている。
「もう、2人の、3人の問題なんすよ。ここから先は、僕らは手を出しちゃいけないっす」
しずかな声だったけど、聞いている腕の表面がぴりぴりした。
「……ちっ」
ぶすくれ、乱暴に兄ちゃんがベンチに腰を降ろす。
「――ごめん」
けれど。
「僕、行く」
その逆端に座っていた僕はテコの原理に弾かれたように、走り出した。
「と、兎丸くん?!」
呼び止める子津くんの声を振り切って、驚く明神くんの傍をすり抜けて。お菓子の入った袋をベンチの上に置き去りにして。部室を飛び出した。
子津くんの言うことが正しいんだって、ちゃんと、わかってた。
わかっていたからグラウンドを横切りながらも胸が痛くて仕方なかった。それでもじっとしてられない。
御柳くんの笑顔や、犬飼くんの伏せられた睫や、ゆっくりと瞬く辰羅川くんの目が、涙を堪えるためにきつく閉じた瞼の裏に浮かんでは焼きついて、また浮かんできた。ほろほろ思い出の中から落ちてくるイメージに考え事すら邪魔されている。校門を走り抜ける。
野次馬みたいだ。御柳くんたちが、大事じゃないみたいだ。関係ないのに、こんなに首を突っ込んで。僕は事態を悪くしたの張本人かもしれないのに、いけしゃあしゃあと。
けれど彼らが大事じゃないんだったら、この胸の痛みはなんだろう。どうして、行かなければならないと、小さな僕が叫ぶんだろう。耐えられない、3人を切ない未来へ向けたくないと思う自分を止めきれない。出来ることなんか何もないかもしれないって思ってる。けれど。
学校の柵に沿って植えられた桜の葉はとっくに茶色く色褪せている。高い空を走る風に揺らされてはらはらと、走る僕の上に降ってきた。やさしく、咎められているようだと思う。それを聞き入れられない返事に涙を落としながら、僕は走っていく。太陽のしたで銀色に光る髪に追いついて、どうしたいかもわからないまま。
夏が過ぎたばかりの秋の空はまだ夕暮れに遠く、強くない青を全体に広げてぼんやりとそこにあった。
見上げながら、僕は走っている。行く宛のないこどものように。
不意に肩を叩かれた。
「っ……」
驚きに竦んだ僕が見上げる先には、自転車のサドルに腰掛けた司馬くんが、いた。
「しば、く……」
「おい、つけない、か、かと、思った」
微笑んで息を切らせて、ハンドルに胸を預けている。
僕は一歩退いた。白く咲きそろう槿の花が顔を覗かせる、誰かの家のブロック塀が背に当たる。
逃げ出そうと思った。止められたくなかった。理屈じゃ説明できない。言葉じゃ説得できない。
けれど力ずくで走り出そうとする僕は、とっくに司馬くんに予想されていて、呆気なく二の腕を掴まれる。
「離してよ!」
叫んだ声が憤りに濁る。
「僕……僕……っ」
言葉が上手く出てこない。だけど、
ここで引き止められたくない!
「乗って」
力ずくになっても、逃げ出そうと思った。
けれど、肩を掴んだ司馬くんの手は僕の予想とは正反対にすぐに離されて、整った指が後輪を指差す。
「え?」
「とまるは、はやいけど、駅まで、走り、続けられない、だろ? だから、乗って」
司馬くんが左足を地面から離して、僕が後ろに乗りやすく自転車を傾げてくれる。
驚いて、ひとつも動けなかった。
「と、止めないの? 僕じゃなんにも出来ないからって、邪魔になるかもしれないからって」
微笑んだまま、司馬くんが首を振る。
「……わかって、でも、そうしちゃう、のも、友達」
ペダルをくるりと回して、右足を乗せながら。
「それに、とまるが、そんなに、したいなら、それは、き、きっと、大事な、こと、だと、思う」
サングラスの向こうの瞳は、あんまりにやわらかい。
「だい、じょうぶ。きっと、まちがっ、て、ない。とまるは、いく、べき、な、なんだと、おもう」
また泣きそうになった。司馬くんは僕を否定しない。わかってくれる。
このどうしようもない気持ちをわかってくれてる。
「ほら、の、って? いそいでる、でしょ?」
「う、うん!」
後輪のボルトの上に足を乗せて、掴んだ肩は暖かくて、またちょびっとだけ涙が滲んだ。堪えて前を見る。駅に続く、犬飼くんたちに続くアスファルトの道を。