アリス、アリス!
12−13=?(ああ、なあんにも残らない!)
大きく、開けた夜でした。星屑たちのお話は絶えず、空雲はぼんわりとその間に浮いています。空と僕らを隔てている覆いが今にも消えて、その全てが落ちてきそうでした。
夜空の下は、森です。真っ暗の森です。
ぼくの目の前でまっくらな森は穴があいて広場になっていました。
広場のまんなかに、赤い光がありました。ガラスの丸いお屋根の下に、血を粉々にしてばらまいたような光が縁を描くように空に光っていています。
夜空を照らすほどあかるく輝くひとは、お屋根の下で丸く蹲っていました。その体に覆いかぶさるのは、金髪の、
「みかどさん!」
「ぴのくん……?」
泣きはらした目を、みかどさんが上げました。驚いたように瞬く端から涙はこぼれ、止まることを知らずに、果てのない水がめから零れるようでした。
「どうしたの? どうして泣いているの? 誰かに苛められたの? 早く、一緒に帰ろう?」
弱弱しく、みかどさんの首は振られました。
「どうして? 僕、みかどさんを迎えにここまで来たのに!」
「何を言っているの? 迎えにきたのは僕でしょう。絵本をしまいにいっている間に、兎の穴に降りてしまったのはだあれ?」
首を傾げるみかどさんは、嘘をついているようにも、僕をからかっているようにも見えません。
ここで、やっと、僕は気付いたのです。笑わないでください。
『あの人は嘘がお好きなんです』
あれは、あの猫さんの『嘘』は、みかどさんが食べられたということではなかったのです。みかどさんが不思議の国へ来たということがすでに、『嘘』だったのです。やっぱりここはひどい世界です。
その嘘を信じてここまできた僕を、みかどさんは追ってきてくれたのです。どこで追い抜かされてしまったのかはわかりません。けれど、僕はだいぶ寄り道をしてしまったようで、それは不思議な話ではありませんでした。
僕は時計兎だったのです。急いでいました。司馬くんの作ってくれた時計を持っています。
兎だったので、司馬くんや黒い人の涙がささやく、きこえない声が聞こえていたのです。
「とても、心配したんだよ、怪我はない?」
真っ赤な目で笑ったみかどさんが、優しく僕の頭を撫でてくれました。ぼくの目からも涙が溢れました。ずっとずっと、こうしてもらいたいと、この暖かい手が恋しいと、この人を探していたのです。ようやくようやく、冒険は終わったのです。
「ないよ、ないよ。僕は元気だよ。たくさんの人に、親切にしてもらったの。ねえ、帰ろう?」
あの林檎の木の聳える、春の丘の上へ。憂えるものの何もない、悲しいことは木立に隠れてしまう、あの丘へ。
「だめだよ、僕は、帰れないんだ」
「どうして!」
「このひとを、あいして、しまったから」
そこでようやく僕は、うずくまる光のもとへ目を向けました。みかんよりもなお濃い、オレンジ色の髪をした男の人が、お葬式みたいに鏤められた花たちの中、猫のように体を丸めて寝ていました。
「この人は、心臓なんだ。この、不思議な国の。ここは、この人の夢なんだよ。この人が、起きたら、おきて笑ったら、起きて泣いたら、この世界は消えてしまう。だからこの人はずっと寝ているんだ。なんて、悲しいことなんだろう」
みかどさんの手が、ゆっくりとその髪に触りました。僕が顔を覗きこんでも、起きる気配すらありません。オレンジの匂いがするかと思いましたが、安らかな寝息や、時折の鼾が聞こえるだけでした。
「僕は、帰れないよ。ずっとこの人の傍にいる」
「僕より、この人が大事なの?」
ふんわり、まるで、僕のこの問いが何にも侵しがたい幸せのように、みかどさんが笑いました。
「ごめんね」
ああ、よりによって、猫さんが最後に言ったことは正しかったのです。みかどさんの心は、健やかに惰眠を貪るこの国の心臓に食べられてしまったのです。
ぽろぽろぽろぽろ、僕の目から流れる涙は止まりません。
「……さようなら、ハートの女王さま」
「気をつけてね、時計兎」
もはやこの人の喜びは花々の首を刎ねて、ハートの王様の周りに飾ることにしかないのです。